ぼくたちが「利益を生まない図書館」を続ける理由 「他者の欲望」模倣より「ちょうどよい」身体実感

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このような例外的な条件がそろわないと働き続けることが難しい社会は、そのあり方自体に問題があります。

「他者の欲望」を欲望する仕組み

ぼくたちは奈良県東吉野村に移り住み、自宅を人文系私設図書館ルチャ・リブロとして開き、活動しています。ただ図書館活動では、貨幣として換算できる利益は何も生み出しません。

青木真兵(あおき しんぺい) /1983年生まれ、埼玉県浦和市に育つ。「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信をライフワークにしている。2016年より奈良県東吉野村在住。現在は障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務めている。著書に、妻・青木海青子との共著『彼岸の図書館──ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』『山學ノオト2』(共にエイチアンドエスカンパニー)のほか、「楽しい生活──僕らのVita Activa」(内田樹編『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』所収、晶文社)などがある(撮影:西岡潔)

ではどうやって生活しているかというと、ぼくは障害がある方の就労支援をして生活費の多くを捻出しています。そのほかには文章を書いたり、講演・講義によって収入を得たり、複数の仕事をしながらなんとか暮らしているのが現状です。そのような状況にありながら、なぜ利益を生み出さない図書館活動を続けているのでしょうか。

このような疑問を向けられるたび、「うっさい、黙っとれ。好きだからやっとるんじゃ」という本音が喉元まで出てきます。と同時に、なぜみんな経済的な利益を生み出すことしかイメージできないのだろう、とも思ってしまいます。

社会に存在していいのは利益を生み出すことだけなのでしょうか。あ、そうか。ぼくたちはこういう社会が息苦しいから、経済的な利益を生み出さない活動をわざわざしているのだと気が付きました。画一的なものに合わせて生きていくことは、「社会にコントロールされながら生きていく」と言い換えれることができます。この現状は、ぼくたちにとって「ちょうどよい」状態ではありません。

そもそも、社会がなぜこれほど大きな力を持ってしまったのか。その理由は、ぼくたちの生活が商品によって構成されているためです。そしてその商品を作る会社が社会の中心を担っているのです。社会の中心が会社になった結果、ぼくたちは「ちょうどよい」生活を送ることができなくなってしまった。

なぜなら会社は生身の人間ではなく、ヴァーチャルな「法人」だからです。そしてその目的は利益を生み出すことだけ。そんな現代社会の状況に対して、平川さんは以下のように述べています。

不思議なことだが、法人という法律上に定められた人格に限って言うならば、ほとんどの法人は、あたかも生得の気質のように、上述した金銭フェチである、彼のような性格を最初から持っている。さらに不思議なのは、誰も、この法人というものの病的な性格に関して、根本的な疑いをさしはさむことがないということだ。しかも、私たちはこの法人(株式会社)というものと係わらずに生活するわけにはいかない。私たちは、私が病的と考える組織の中で、人生の多くの時間を過ごすことを宿命付けられている。
(『株式会社の世界史』166ページ)
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