「数学的思考の欠如」が経験に固執する企業を生む 「言うべきことを言わない」組織が生まれる理由
そして、日本の企業はこうした「経験則だけに流される惰性の集団」がいまだに目立つ一方で、「客観と論理で動く推力の集団」は着実に増えつつある。現在は、その分化の真っ最中ではないだろうか。
論理を消失させてしまう同質性の恐怖
もう四半世紀にわたって日本の企業組織の課題は指摘されているにもかかわらず、なぜ惰性の集団は多いのだろうか。
もちろん海外の事例を研究しても、意思決定でしくじる例は多く見かける。そこには、客観性と論理性が欠けていることは同じだ。しかし、日本の場合は各業界のトップクラスの企業で同様の事例が相次ぎ、それは停滞する成長率や低い生産性に表れているのではないか。
そして、惰性の集団に共通するのは組織内で意思決定にかかわる人々の同質性の高さである。日本で教育を受けて、類似した経歴をもっている一定以上の年齢の男性の集団が目立つのだ。
しかも、同一企業に勤める「生え抜き」が多い。そもそも論理的なコミュニケーションは堅苦しいと言われかねないし、オフィスの外の遅い時間に大切なことが決まっていることもある。
一方で、いま注目されている企業を見ていくと、その人材が多様であると感じるし、実際にそのような傾向を見いだしている調査(McKinsey & Company , ”Why diversity matters”, 2015)もある。
国籍、性別はもちろん、さまざまなキャリアの人が集まれば、「あうんの呼吸」のような感覚は通用しない。そこで共通語となるのは、言語を問わない「論理性」だ。
数学は共通言語と言われる。それは数式などの記号や法則が共通であることはもちろんだが、その根底にある論理は誰もが共有できるからである。
だとすれば、「言うべきこと」は明確になり、それが少数意見であっても、集団の中で正しく検証されて、行動に反映されるはずだ。
もし、いまの組織の意思決定に不安や疑問があるのなら、「どのくらい数学的思考がなされているか?」という視点で見直してみるのも一考だろう。また数式以外の視点で、数学を学び直すのもいいかもしれない。
「言うべきことが言えない」というのが、数学的思考の欠落によるものではないか?という趣旨はご理解いただけただろうか。もっとも、この厳しい指摘をした金融庁にもやや疑問はある。
みずほのシステムトラブルは長期にわたっていたのだから、監督官庁も「言うべきこと」を先送りしていたように思えるのだ。
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