物語の前半はこの浅草を舞台に、大学を中退したタケシが“ストリップとお笑いの殿堂”と呼ばれていた浅草フランス座に飛び込み、深見に弟子入りする話が展開されます。何とかして芸を身につけようと、タップダンスを覚えようと決意するタケシの姿は北野監督映画『座頭市』の“下駄タップ”シーンの原点をひもといているかのよう。ただし、深見がタケシの才能を見いだした決定的な場面がわかりにくく、展開の驚きを求めがちな海外の視聴者には少々刺激が足りないのかもしれません。
圧巻のツービート漫才の再現シーン
気づきを与える展開は中盤から。天才たけしが生まれた背景には時代の変化が大きく影響していたことが理解できます。新しい笑いを作り出す場が演芸場からテレビへと移り変わっていくのです。この時代のうねりとともに、スターダムへとのし上がっていくタケシを演じる柳楽の生き生きとした演技によって、さらに説得力を増します。また東八郎、萩本欽一といった大人気芸人を育て上げたものの、時代の変化に取り残されていくのが深見です。タケシとは対照的な存在にあるわけですが、それでも粋な芸人であり続けようとする深見の人間味ある人物像を大泉が演じ切っています。
11月に開催された新作発表会「Netflix Festival Japan」に登壇した大泉の発言からも深見というキャラクター像をとことん追求していたことがわかります。「芸に厳しく、でも、表に感情を出さず、言葉と裏腹なところが日本人らしいキャラクターです」と、説明していました。
客いじりからつねにボケる芸人魂まで、タケシがいかに深見から影響を受けているか。これについても丁寧に描いています。師匠と弟子の固く結ばれたこの信頼関係を示すシーンは多々あります。情緒的な表現をより好む日本の視聴者は間違いなくほっこりさせられるでしょう。一方で、やはり日本的であればあるほど、海外の視聴者は感情移入しにくいのかもしれません。
そもそも日本のお笑い文化を理解してもらうハードルは高いのですが、それをカバーする助けとなるのが圧倒的な演技力とも言えます。その見せ場が「ツービート」漫才の再現にあります。このシーンは圧巻。タケシの過激な毒舌ネタに「よしなさい!」とツッコミを入れる相方のキヨシの掛け合いで、1980年代の漫才ブームを沸かしたあの頃の空気感まで伝わってくるほどです。ブラウン管テレビの前でその姿を目にしたことのある人であれば、その感覚に納得するはずです。大泉もこの漫才シーンを絶賛し、「子どもの頃に見たツービートの漫才そのまま。これは誰でも拍手を送りたくなるほど」と話していました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら