「ムーディ勝山の元相方」香川県で成功していた訳 都会だけが「夢を叶える場所」じゃない
梶の申し出を受けた吉本は「芸人辞めて実家に戻るんだったら、実家に戻って『住みます芸人』をやってみたら?」と再度、勧めたという。その勧めに応じた梶は2011年末に三豊市に戻り、翌2012年1月末から「香川県住みます芸人」となった。
「香川に戻ってすぐに、テレビのレギュラーが2、3本、ポンポンと決まったんです。ちょうど(地元のテレビ局が)レギュラーで使える男性(タレント)を探している時期と重なったみたいで。
ただ、香川に帰ってきたばかりの時の僕は、会社が繋いでくれた仕事にはきっちりお返しせなあかんということだけ考えて、淡々と仕事をこなしているという感じでした。
やはり、自分の中で一度、『芸人を辞める』と決めたことが大きかったし、当時は『いずれ近いうちに家業を継がなければ』と考えていましたから」
地方だからこそできることがある
だが、その後、父親の体調が回復し、「住みます芸人」としての仕事が増えていく中で、梶の心境に変化が生じたという。
「番組のロケで、いろんな場所を回らせてもらってるうちに、地元の良さを改めて知ったんですよね。僕は香川出身ですが、高校までしかいなかった。しかも高校時代は家から学校、部活と、移動するのはせいぜい自転車で動ける範囲やった。
けれども、芸人として戻ってきて、仕事で県内のいろんな場所を訪れるようになって、香川にはこんないい場所も、美味しい食べ物もあるんだということがわかってきて。もっと香川を盛り上げたい。まずは『香川の人に香川の良さを知ってほしい』と思うようになっていった。
その一方で、これまで仕事で会った地元の人、特にメディアやイベント関係の人たちの中には、『面白いことがしたい』、『こんなのやりたい』と思っているにもかかわらず、『しょーがない、地方やから……』と諦めている人たちが少なくなかった。
それは違うんじゃないの、と。僕はその『地方やから』という言葉をマイナスの意味で使いたくなくて、『地方やから』こそできることがあるんじゃないの、と思ったんです。
それともうひとつ。これが最大の理由かもしれませんが、香川に戻ってきてから、大阪、東京にいた時とは比べものにならないくらいに仕事は増えました。にもかかわらず、充実感がなかったんですよ。子どもの頃の『テレビに出たい』という夢は叶っているはずなのに、何か物足りない。
この物足りなさは何やろ? そもそも俺は何で今まで芸人を続けてきたんやろ? と考えて、はじめてわかったんです。
僕は吉本の先輩や後輩、同期の『お笑い芸人』と一緒にいるのが楽しかったんです。テレビに出られなくても、仕事がなくても、彼らと一緒にいるのがとにかく楽しかった。だからこそ僕も今まで芸人を続けてこれたんだと思います。
じゃあ、香川に帰った今、彼らともう一度会うにはどうしたらいいか、一緒に仕事をするにはどうすればいいか。じゃあ、自分がイベントを立ち上げて、彼らをゲストに呼べばいい、香川まで来てもらえればいいと考えるようになったんです」
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