「秋田ってチェーンのお店があんまりない土地で、最近だとサイゼリヤが初出店してお祭り騒ぎになるような場所なんです。私が子どもの頃は今よりもっとなくて、だから『お父さんが帰ってくる日=普段は食べられない美味しいものを買ってきてくれる日』という認識だったんですね。とくに好きだったのがケンタッキー。当時は秋田県内になくて、たまに食べるご馳走でした。寒い冬の日に、玄関のドアを開けるとお父さんが肩に雪を乗せて、ケンタッキーの箱を小脇に抱えながら私を抱きしめる。私はお父さんとチキンの匂いに包まれる……そんな光景を、今でも覚えています」
お父さんとチキンの匂いに包まれる……というのは若干シュールな表現だが、
「だから、当時の私にとって、白い骨付きウインナーは、ケンタッキーの上位互換に思えたんです」
5歳の女の子にとって、フライドチキンとどこか重なるビジュアルの骨付きウインナーが、とてつもなく美味しそうに見えたことは、納得にかたくないだろう。
聖夜は一瞬で悲劇の晩餐に
だが、香織さんの期待とは裏腹に、クリスマスディナーは程なくして、悲劇の晩餐に変わることになる。その理由は、父と娘の“宗派の違い”だった。
「私は昔から、好きなものを最後まで残すタイプなんです。苺のショートケーキだと苺を最後まで残すし、天丼だとエビを最後まで残すような人間です。だから、骨付きウインナーも最後まで残しておいたんです。
で、もともとわが家は、大皿に食べ物を盛り付けて、そこから自分の皿に移して食べるスタイル。だから、私の骨付きウインナーも、大皿に乗ったままだったんです……。すると、それを見たお父さんが、『食べないなら食べちゃうよ?』的な感じで、勝手に骨付きウインナーを食べちゃって。そう、お父さんは“好きなものは最初に食べる”側の人だったんです……」
父の同僚がくれたその骨付きウインナーは、ちょうど家族の人数分しかなく、しかも母や妹たちはすでに食べ終えていた。つまり、予備は残されてなかった。
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