もちろん「袖振り合うも多生の縁」と、名刺を作ってくれた人にコンタクトを取ることも不可能じゃないだろうが、そもそもこちとら、ただ値段を比較して最安値のものを「買い叩いた」張本人である。買い叩いたヤツが、買い叩かれた人と心温まる良き人間関係を結ぶなんて、どう考えてもありえないことである。
つまりは、貧乏を恐れていると、孤独がもれなく付いてくるんじゃないだろうか?
……そうだよ。考えてみれば、誰かから何かを買うということは、しかも仕事上必要な何かを買うということは、言い換えれば「取引先を決める」ということだ。取引先とは、互いに長く付き合っていく相手である。ってことは、取引先を選ぶということは、人生を共にする相手を選ぶということだ。
つまりは私は今、良き人間関係を作るチャンス、すなわち孤独から脱して、新しい人間関係を一から作っていくチャンスを前の前にしてるんじゃないだろうか?
それは、この時の私にはものすごく重要なことのように思えた。貧乏を恐れ数千円のお金を惜しむあまり、このチャンスを逃すのはどう考えても「もったいない」んじゃないだろうか。つまりはですね、私は「貧乏」を選んだのだ。「孤独」に比べたら、その方が何倍もマシなように思えたのである。
「昭和な印刷所」で作られた活版印刷の名刺
そう決まれば、次は相手選びである。
私はこれからどんな人と一緒に生きていきたいのだろう? そうだな……時代に合わなくても、自分の信じるもの、愛するものを、コツコツ真面目に作り、適正な価格で売っているような人と知り合いになりたい……うん、だんだんイメージが固まってきたぞ!
で、思いついたのが活版印刷である。新聞記者として育ってきたので、活版は私の原点だった。天才的な技を持った職人さんたちが小さな活字を間違いなく拾って素早く組んでいく様子は、残念ながら実際に見る機会はなかったものの、その伝説は先輩記者から何度も聞かされたものである。
ほどなくして新聞もコンピューターで作るようになり、職人さんたちは全員配転されることになってしまったけれど、これから人生の下り坂をいく身としては、あえてそんな、非効率と決めつけられてしまった「時代遅れ」の活版印刷に立ち返ってみるのは意味のあることのように思えた。
というわけで検索した結果、なんと近所にそんな活版名刺を作っている印刷所があることが判明!
これはラッキーだ。近所なら直接注文にも行けるし、そうなれば職人さんと友達になれちゃったりしてと孤独な50オンナの夢は俄然ワクワクと広がり、さっそく自転車に乗って目当ての印刷所を探し当てる。
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