異文化に触れる日本人が陥りがちな3つの誤解 国は幅広すぎる、意見は言って相手を受け入れよ

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たとえば、中国で働くドイツ人の親を持つ子供が12歳まで中国に住み、その後ドイツで中・高に通い、大学はアメリカに留学するとなるとどちらのカテゴリーに入れればよいか、なかなか決められない。また、企業が世界の有能な人材を採用するために、会社に電話する際、相手の国籍を確認してから、コミュニケーションのスタイルを調整することも非現実的である。それなら、有意義な異文化コミュニケーションを成立させるために、どうすればよいか?

3.相手のすべて受け入れる

国、言語、ジェンダー、年齢、地域文化、宗教、ルーツ、海外のメディアなど、文化のアイデンティティーを分析する際、さまざまなファクターを把握しなければならない。当然、それは初対面の印象や情報だけでは無理がある。現実的ではない。異文化コミュニケーションの目標は国だけではなく、相手の経験やバックグラウンドにより、コミュニケーションに障害となるフィルターがかけられており、そのフィルターを少しすづ取り払う方法を紹介している。

そのために、まず相手の話をしっかり聞き、自分との共通点と相違点を識別をする。その後、相手の気持ちをできる限り受け入れる。しかし、それは無条件で受け入れるという意味ではない。異文化コミュニケーションのカギは何でも「Yes」を言うことではなく「No」を言える力を身につけることである。

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異文化は、国境と関係なく「他者」との出会いである。同じ国でも、異なる経験をし、別の世界観を持つ人が多く、同じ国籍とはいえ、フィルターがどうしてもある。繰り返されているパターンを探すと言うよりも、新しい出会いは「一期一会」として考えるべきではないか。

言うまでもなく、言語は何よりも無くすべきフィルターである。理想の世界では、英語のみならず、たくさんの外国語を勉強することが理想ではないか。相手の母語で直接コミュニケーションができると分厚いフィルターがなくなり、信頼関係を速やかに構築できる。

時間がない人は、とりあえず英語をしっかり身につけるべきである。それから、幅広く「文化」について考え、相手が特に大事にしている文化について耳を傾ける。そして、最終的に異文化コミュニケーションが楽しいことであり、相手だけではなく、自分を理解するためのすばらしい経験だと思えることが醍醐味である。

スティーブ・コルベイユ 聖心女子大学国際交流学科准教授、翻訳家

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Steve Corbeil

1978年カナダ・ケベック州生まれ。2008年モントリオール大学大学院比較文学科修士課程修了。2021年東京大学大学院(表象文化論コース)博士課程単位満期退学。文学、映画、マンガなど幅広く日本戦後文化を研究。さらに、日本が直面する異文化コミュニケーション問題を考察し、対策講座などを担当。2010年~2016年静岡大学講師・准教授。ほかに、立命館大学、上智大学、法政大学、立教大学、東京大学にて非常勤講師を務めた。フランス語、英語、日本語で執筆。『翻訳とアダプテーションの倫理』(春風社 共著)など。

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