異文化に触れる日本人が陥りがちな3つの誤解 国は幅広すぎる、意見は言って相手を受け入れよ

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つまり、「暗黙の了解」が存在しない。ドイツの会社と契約を結ぶ際は、記述されているものを守ることが大切である。一方、日本のような文化は、明確に表現されていなくても、相手の了解が推定され、共通の認識、非言語コミュニケーションが重視される。この視点は、気づかない場面でも大きな影響がある。

たとえば、レストランのメニューを考えてみる。アメリカ文化の影響を受けた日本のファミリーレストランのメニューには写真が多く、一品の名前の下に細かい説明が書いてある(低文脈文化)。客の事前知識が前提されず、注文する前に料理を完全に想像できる情報をたくさん伝えている。一方、伝統の和食店は手書きの漢字で一品料理の名前しか書かれていない。客の知識が前提とされ、説明がなくても、料理を想像できると想定されている。

ホールの理論は、文化を区別しやすくする魅力的な話に見える。しかし、ホールと彼の後継者が主に国単位でそのカテゴリーを考えたことが問題になる。確かに、ホール自身は同じ国でもグラデーションがあり、人によって差があると認めた。

しかし、彼の研究はもともとデータではなく、実用体験に基づくものであったので、根拠がないとよく批判されており、最終的に国についてのステレオタイプ(固定概念)を正当化するために利用され、異文化コミュニケーションの専門家の間では問題視された。

「日本人が自分の意見を直接言わない」をどう考えるか

たとえば、「日本人が自分の意見を直接言わない」と言う抽象的意見についてどう考えるべきか。まず、日本人同士の会議では意見を自由に述べている人が多い。テレビ討論が人気があり、匿名とはいえSNSのコメント欄には他国と比べていても、記述が多い。ただし、英語の意見交換の場合は、意見を述べない傾向があると認めざるをえない。

しかし、それは、日本人は「高文脈文化」に生まれたというよりも、言葉の壁があり、英語で意見のニュアンスを表現できる時間がないということである。ホール自身が日本語を話すとしたら、違う結論に至っただろう。皮肉なことに、ホールの視点は相手の文化を分析する際は、自分の文化と言語が出発点であり、比較基準になっていることを無視している。

以上の点により「高文脈文化」と「低文脈文化」は異文化コミュニケーションにあまり役に立たないとわかる。国のことを重視しているものの、その国の知識は表面的であり、さらにホールの場合は、アメリカと西洋文化がスタンダードになっており、固定概念を正当化するツールとなっている。また、グローバル化が進んでいる現代社会では文化を決めつけることがますます難しくなっている。

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