渋沢栄一が断言した「いい仕事がこない人」の欠点 「日本資本主義の父」に学ぶ仕事の進め方の要諦

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渋沢栄一の仕事に対する考え方をお届けします(写真:今井康一)
「日本資本主義の父」といわれ、経営を手がけた企業は500社を超える実業家、渋沢栄一。彼の仕事に対する姿勢や交渉の進め方について、歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。

元治2(1865)年2月以降、渋沢栄一は小十人の身分となり、一橋(徳川)慶喜にも謁見ができる御目見以上となります。

それ以前から、渋沢には一橋家の問題点が見えていたようです。例えば、一橋家の用人(家政を司る者)である黒川嘉兵衛に対して、「慶喜様が禁裏御守衛総督(朝廷が京都御所を守るために設置した役職)を拝命のうえは、いくらかは兵隊がなくては御守衛というは有名無実ではありませんか」と進言していました。

というのも、一橋家には、譜代の家来がなく、その兵備も幕府から貸し与えられた少数歩兵部隊があるばかり。京都御守衛総督の任務を徳川慶喜が果たすには、不十分なのは言うまでもありません。

しかし、黒川にしても「どうとも仕方がない。幕府から兵隊を借りるために月々1万5000両、米5000石があてがわれており、再び借金ということもできない」と名案なく、消極的でした。

上司に対してたびたび意見していた渋沢

そこで、渋沢は「一工夫あります」として、一橋領内の農民を集めて歩兵部隊を作ることを提案するのです。徳川慶喜に直接拝謁して、そのことを言上した結果、意見は無事に採用となり、渋沢は「歩兵取立御用掛」を命じられたのです。

実はここに、渋沢の出世の秘密が隠されています。それは、上司に対して、たびたび自らの意見を披瀝していることです。

「何もすることがない」とか「いい仕事を与えられない」と不平を漏らすのではなく、自ら動いて仕事をつくっています。

次ページ「役に立つ青年は磁石のようなもの」と語った渋沢
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