渋沢栄一が断言した「いい仕事がこない人」の欠点 「日本資本主義の父」に学ぶ仕事の進め方の要諦
渋沢は農民の呼び出しを止め、庄屋から紹介された学者・阪谷朗廬(さかたに・ろうろ)や剣術家の関根某のもとで、議論をしたり、剣術をしたりしました。
興譲館という学校を開いていた阪谷のもとでは、書生らと宴会したり、鯛網に出かけたりして仲を深めます。剣術家の関根のもとでは、彼と勝負し、渋沢が勝ちをおさめています。
そうしたことを日々、やっていくうちに「一橋家へ奉公したい」という村の者が2、3人現れるようになりました。渋沢がもくろみをもって、あえて村の者との交流を深めようとしたのかどうかはわかりません。しかし、内堀を埋めようと思えば、まずは外堀から埋めるという戦法ではあります。
渋沢は応募してきた者に、志願書を書かせたうえで、庄屋を旅館に招集し、志願書を見せつつ、こう言いました。
「わずかの時日、自分に接した人の中から4、5人も志願者があるのに、数十村、数百人のうちで1人も希望者がないという道理はない。考えてみるに、これは何者かが邪魔をしているのではないか。事と次第によっては、庄屋の10人や15人を斬り殺すくらいのことはなんとも思わないから、あまりグズグズすると、そのままにはしておけない」
代官から「遠ざけておけ」と指示があった
この渋沢の脅しで、庄屋たちが「代官から、領民の難儀となるので、(渋沢を)敬して遠ざけておけとの指示があった」ことを吐露します。
そこで、渋沢は代官に対しても「もしもできないというときには、その証拠を明了にしなければならない。そのときは貴殿にも、どのような迷惑を及ぼすかもしれない」と脅し文句を放ちました。
これが効いたのか、翌日には志願者が続々と集まり、その数は200人となったのです。渋沢の巧みな作戦勝ちでありましょう。
渋沢は他人との交際の仕方について、こう述べています。
「交際の要旨は、事に当たっては切実に考えること、人に対してはいささかも誠意を欠いてはならぬという点にある。(中略)相手の貴賎上下に拘らず、如何なる階級の人に向こうても真実に交わり、言々句々、一挙一動、すべて自己の衷心から出るというのが、真正の交際であろうと考える」(『渋沢百訓』)
今回の兵士募集も、渋沢の人柄や本気度が伝わったからこそ、成功したと言えるでしょう。
(参考文献)
『雨夜譚』(岩波文庫)
『渋沢百訓』(角川ソフィア文庫)
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