パラの魅力伝えた三上大進が語る「7本の指と私」 「できない」を否定せず、「できる」を互いに探す

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「私が人と違うと気づいたのは幼稚園のころ。でもいつかみんなと同じになる、指もきっと生えてくると思っていました。いま思えば、そのころから、ほかの人との違いについて考えることの多いこどもだったかもしれません。

東京2020パラリンピックでNHKのレポーターを務めた三上大進さん(写真:吉澤健太)

セーラームーンになりたいと思ったはそのころから。なんでって? 彼女は愛の戦士だから(笑)。あと、セーラームーンはムーンスティックっていうのを持っているんですけど、その先端に三日月がついていて。そのカタチが私の左手に似ていたんです。自分を重ねていたのかしら」

男子とカテゴリー分けされるのが苦手だった

「同じころから、"男子"とカテゴリー分けされるのが苦手でした。でも、みんなと違いすぎてしまうのが怖くて。当時は『おかま』って呼ばれるのもイヤだったし、小学生のころは隠していました。親に対しても、私の左手のことで心配をかけているのに、これ以上負担をかけたくないという気持ちもあったしね。

NHKのレポーターとして出演後、三上さんに届いたたくさんのファンレター(写真:吉澤健太)

(左手のせいで)できないこともありました。そんな自分がすごく嫌でした。たとえば体育の授業で、なわとびをうまく持てずに大苦戦。でもできないって言いたくなくて(笑)。

すると先生がリストバンドとマジックテープで補助器具を作ってくれたんです。ひとりでは難しいことでも、誰かと一緒なら可能になると気づけたのは、自分に障がいがあったからかもしれません。いまもね、ネックレスが着けられないの。でも、その代わりに大ぶりなリングでおしゃれを楽しんでいます。

大学時代に、フィンランドへ留学していました。フィンランドって寒いでしょう。最初は長袖を着ているから、誰も私の左手に気づかない。そのうち、夏が来て、半袖になっても、誰も私の左手を気にしないんです。人は誰しも違っていて当たり前。違っているからといって、その違いによって評価が下がらないということがとても心地よかった」

次ページでも日本へ帰ってきたら…
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