パラの魅力伝えた三上大進が語る「7本の指と私」 「できない」を否定せず、「できる」を互いに探す

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「でも日本へ帰ってきたら、やはりその違いを突き付けられることが多い。心ない言葉を投げつけられたり、水をかけられたり。フィンランドでは浮かびもしなかった『障がい』という言葉を、いやでも意識させられてしまう、それが日本なんです。悲しいけれど。

三上さんのお気に入り美容アイテム。スキンケア歴は長く、中学生のころから「肌水」を持って登校していたそう(写真:吉澤健太)

私は自分で選んで指7本に生まれてきたわけではないでしょう。それなら、今持っているものを精一杯大切にしようとハマったのが美容です。中学からスキンケアには時間をかけていたし、大学3年のころには美容業界に入るんだと心に決めていました。

新卒で入社したのは『日本ロレアル』。スキンケアの製品マーケティングを担当していました。そこから『ロクシタン』へ。マーケターって花形と言われるけど。本当に泥くさい仕事で。バリキャリだったの、私(笑)

パラリンピックには、外国人選手の言語サポートがしたくて、軽いお手伝いのつもりだったんです。でもレポーターとして採用されて。同僚たちからは『辞めないで』と引き留められたんですが、当時の上司が『2020というプロダクトは一生に一度しかない。マーケターならチャレンジすべきだ」と言ってくれて。思い切ってNHKへ飛び込みました。

NHKへ入局するため、ロクシタンを退社。同僚たちが贈ってくれたギフトには「彼氏ができるといいね」とある(写真:吉澤健太)

私、最初は『障がい者リポーター』っていう肩書だったんです。ちょっと……でしょう? 自分の存在が健常者と障がい者の区別を強調している気がしてすごく嫌で。変えて欲しいと頼み込んだことで、『パラリンピック放送リポーター』と改められました。自分では『プリティレポーター』と呼んでいたんですけれど(笑)。

NHKは巨大な組織ですから、まだ保守的なところが残っています。たとえば、私が着任した日、洋服をしまうロッカーが『男性用』と『女性用』に分かれていました。じゃあ私、どこにコートをかければいいの? って。誰でも使えるスペースを作ればいいんじゃないですか? と提案して、翌日には改善されていました。そういうところはすごいですね、NHK(笑)」

「障がいは乗り超えるものではなく、向き合うもの」

「NHKには3年7か月在籍していました。パラリンピックの取材を通して本当に学ぶことの多い、貴重な日々でした。

よく、パラアスリートを評して『障がいを乗り越えて~』などと言われることが多いんですが、私に言わせれば、障がいは乗り越えるものではなく、向き合うもの。彼らはみな、自分の身体と向き合って、その機能や強みを最大限に磨き、競技に臨んでいます。その闘志こそが美しい。パラスポーツの魅力だと感じました」

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