リクルート作った天才「採用狂ぶり」がヤバすぎた 「時価総額13兆円で国内4位」江副浩正のDNA
江副は大きな投資を決める重要な取締役会と、なんとしても採りたい学生の面接が重なると「僕は面接してくるから、あとは君たちで決めておいて」と会議室を後にした。それほど採用を大切にしていた。
人事部にはいつもこう言っていた。
「君たちは20年後のリクルートの社長を採用しているんだからね」
トップの江副がこの姿勢であるから、会社全体でも「採用」が最優先事項になる。こうして採用に莫大なエネルギーを注ぎ込むリクルートのカルチャーが育まれた。
それだけのエネルギーをかけて採用した人材を採りっぱなしで粗末にするようなことはしない。社員数が500人を超えるころまで、江副は全社員の顔と名前と家族構成を頭に入れていた。エレベーターで乗り合わせた社員には「やあ○○くん、お嬢さんは今年、学校に上がるんだろ」と話しかけ、社員の子どもが小学校に上がるときには手渡しでランドセルを贈った。
1985年、江副は当時、全盛だった紙の情報誌からコンピューター・ネットワークを使ったオンライン・サービスに舵を切る決断をする。このとき人事部に出した指令は有名だ。
「東大クラスの理工学部を1000人採れ」
放っておけば新日本製鐵、トヨタ自動車、日立製作所などに就職するはずの工学部のエリート学生を1000人かき集めろというのである。
普通では出版・広告業のリクルートに工学部の学生は見向きもしない。そこで江副は一計を案ずる。当時、最先端と言われていたアメリカ・クレー社のスーパーコンピューターを2台も購入したのだ。富士通などのスーパーコンピューターも購入し、コンピューター購入だけで70億円を費やした。江副はそれを「採用費」として計上している。
当時、スーパーコンピューターを何台も保有する会社はほとんどなかった。「あの会社に行けばスーパーコンピューターが使えるぞ」というので、感動ビタミンに引き寄せられた学生が集まり、1987年には実際、工学部を中心に1000人近く学生を採用している。
この年、コンピューター投資以外でリクルートが使った採用費は70億円。1人採用するのに実に700万円をかけたことになる。
13兆円企業に受け継がれた「採用狂」のDNA
紙からオンラインに飛び移ろうとした矢先、江副は1989年のリクルート事件で逮捕され、突然、会社を去る。しかし江副が採用した理工系の学生たちは、就職情報サイトの「リクナビ」など、リクルートのオンライン・サービスを立ち上げる礎になった。
日本の経営者の多くは「企業は人材がすべて」という。だが江副ほど採用に固執する経営者は少ない。今でもリクルートは、どうしても採りたい学生を落とすとき、ホールディングス傘下のカンパニー社長が学生の実家に出向き「お嬢さん(息子さん)を私どもにお預けください」と頼み込む。
多くの大企業は学歴や簡単なテストと面接で新卒を採用する。「新入社員は真っ白なキャンバス。最初の何年かは雑巾掛けをさせて、わが社色に染めていく」というのんびりした育成方針がほとんどだろう。
一方のリクルートは選びに選んだ人材を入社初日から全力で走らせる。感動ビタミンをたっぷり摂取した若者たちは、先輩に「君はどうしたいの?」と聞かれながら「圧倒的当事者意識」を植えつけられる。
「君らが歴史を作るんだ」という江副の言葉は、13兆円企業になったリクルートの中で今も脈々と息づいている。
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