リクルートを創った天才「偉業」の影に見た脆さ カリスマ江副浩正いなくても組織が自走する訳

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リクルート事件前夜の1988年に撮影されたリクルートGINZA8ビル(東京都中央区銀座8丁目)。当時は日本リクルートセンター本社ビルの名称だった(写真:東洋経済新報社)

これまで会ってきた「元リクルート」の人たち、もしくは「元リクルート」をタイトルに冠した書籍の著者などに、私は何度か“同じ匂い”を感じてきた。

あくまで私見にすぎないが、彼らは例外なく「リクルートが大好き」だということだ。時としてそれは、「なぜ、そこまで?」と感じさせもした。が『起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之 著、東洋経済新報社)を読んでみた結果、その意味がわかった気がしたのも事実だ。

リクルートが他のベンチャーと異なるのは、江副さんという強烈なキャラクターの創業者が去った後も、会社として成長し続けたところです。理論が好きな江副さんは、創業メンバーと一緒に、会社が成長し続ける「仕組み」を作りました。リクルートの社員は、江副浩正というカリスマではなく、江副さんが構築した思想体系を信奉していたから、江副さんがいなくなってもブレずに目的合理的な資本主義を貫くことができたのです。
(「はじめに 江副浩正は『服を着たゾウ』――瀧本哲史氏インタビュー」より)

つまりはこれこそが、リクルートが内部から信頼される理由なのだろう。逆にいえば、私はいままでリクルートという企業の本質、そして創業者である江副浩正のことを知らなすぎたというべきなのかもしれない。よくも悪くも。

「起業の天才」である理由

リクルート創業者である江副の足跡を辿った、非常に優秀なノンフィクションである。タイトルからもわかるように、中心にあるのは「起業の天才」たる彼の先見性だ。

そのいい例が、アメリカ、イギリス、日本につくったコンピューター・センターを海底ケーブルで結び、顧客企業にグローバル・サービスを提供しようとしたことである。

1987年にファイテルを買収した江副は、ニューヨークとロンドン、そして日本の川崎に「テレポート(通信機能を備えた巨大コンピューター基地)」を作り、3つの拠点を国際回線で結んで金融機関などにサービスを提供しようとしていた。コンピューターのパワーや通信回線の速度は今とは比べ物にならないが、現在アマゾンの収益源の柱となっている「アマゾンウェブサービス(AWS)」と同じものを、30年以上も前に構想していたのだ。つまりクラウド・コンピューティングである。
(15〜16ページより)

しかもそれ以前、すなわち40年以上前から、彼は先進性をすでに発揮していた。誰もが商業メディアにとっての収益源と考えていた「マス広告」の非効率性を、いち早く見抜いたのである。

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