リクルートを創った天才「偉業」の影に見た脆さ カリスマ江副浩正いなくても組織が自走する訳
高度成長期のベンチャー企業の様子が、見事に描写されている。このように、地下の小部屋を拠点としていた大学広告社の面々は、ここで侃々諤々(かんかんがくがく)と議論を重ね、会社を成長させていくのである。
注目すべきは、江副がつくった「求人広告だけの雑誌」が、インターネットがなかった時代の「紙のグーグル」だったということ。前述したように、情報を求めるユーザーと、情報を届けたい企業との「広告モデル」(ユーザーには無料)によってマッチングさせたのだ。
カリスマ性がなく、本人もそれを自覚していた
しかも江副はそうした目的を実現させるべく、自分にはない才能を持つ人材を見出し、その人を生かすマネジメントを実践した。それもまた“天才”としての一側面だったが、興味深いのは、「ベンチャー企業を率いる多くの企業家が持ち合わせていた資質が江副に欠けていた」という著者の指摘だ。つまり江副にはカリスマ性がなく、本人もそれを自覚していたというのだ。
例えばそのことを言い表す例が、側近のひとりが指摘している“若い社員に対する江副の接し方”である。
自分が意見をいえば命令と服従の関係になってしまうから、しつこく「君はどうしたいの?」と聞き、以後も「それで?」「でも、こういうこともあるよね?」と社員を誘導していく。すると、そのうち社員は、江副が考えていた正解や、それより素晴らしいアイデアにたどり着く。
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