燃え殻氏が振り返る「1995年と今」の決定的な違い 「ボクたちはみんな大人になれなかった」の真意
――原作は自伝的小説とのことでしたが、かおりさんのモデルとなった女性と会わなくなってから本の話をできる女性に出会いましたか。
会っていないです。当時、ふたりでいつものようにラブホテルにいたとき、朝起きたら彼女が三島由紀夫の『金閣寺』を読んでいたんです。劇中にもあるように、当時の僕は文学や音楽の情報を彼女から教えてもらっていたのですが、そのときも彼女は僕に『金閣寺』の素晴らしさについて説明してくれました。
それで「今度金閣寺に行こうよ」と言ったんです。『金閣寺』を読んで、本当に金閣寺に行きました。今思うとかなり危険な行動ではあるんですが。
――当時のかおりは「普通だね」を佐藤に連発しますが、四半世紀後、普通のお母さんをしていることがFacebookでわかります。一方、佐藤はかおりに言われた言葉を引きずりながら「普通でいたくない」と思って生きている。女性は残酷な生き物だと感じました。
実在の彼女とは自然消滅で終わってしまったので、本当はどういう人間なのか、当時何を考えて生きていたのかについてはわからないままに小説を書きました。
映画でかおりを演じてくれた伊藤沙莉さんは「かおりについての情報量が少ないのでどのようにして演じたらいいか悩む」と言っていたぐらいです。原作を書いている自分がわかっていないのだからそれは確かにそうなのでしょう。彼女が何を考えているか、小説にきちんと書けるぐらいにきちんとわかっていたら、別れることもなかったような気がします。
ただ、本が出た後いろんな人たちに言われたのが、男でも女でも、本当は自分に自信がなかったのかもしれないけれど、「カルチャー強者」のようなフリをした人が、当時はたくさんいたということでした。彼女は僕に語ることによって「そんなカルチャーに詳しい自分がいる」と認識していただけかもしれないと。本当はカルチャーなんてそこまで好きじゃなかったのかもしれない。
当時は誰にとっても「かおり」のような存在がいたようで、周りの人たちは「彼女は本当は~だったのではないか」と、それぞれに熱く「自分にとってのかおり」論を語ってくれました。
悩みの内容が変わっていれば大丈夫
――仕事のポジションが上がり、自宅の様子からは収入も増えたことがうかがえる主人公の佐藤ですが、どこか物足りないものを抱えて生きています。そして、こうした気分を抱えた40代後半の読者も多いと思います。
僕が仕事をし始めた頃、ちょうどWindows95が上陸して、社会人生活と並行して世の中の目まぐるしい変化を経験することになりました。電子機器において、家電からスマホまですべての変化を経験した世代です。格段にいろんなことが便利になった四半世紀でした。ところが、人間の悩みは尽きない訳です。
僕自身は、エクレア工場でアルバイトしていた頃もテレビのバックヤードで働いていた頃も、そして作家になった今でも「来年はどうしようか」と悩んでいます。今では書いた本を支持してくださる方がいて、それは嬉しいことですが、やはり将来に対する不安は拭えません。
自分はずっと不安だったな、と。そしてこれからも不安であり続けると思うのですが、不安の原因の内容が変わってきたような気がします。
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