これから「人を進化させる新技術」が次々生まれる 白熱対談!未来の人類「ネオ・ヒューマン」の姿

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三木:ピーターさんは、ロジカルでいいですよね。精神論に訴えたり、よくわからない自分の基準で議論したりはしません。ピーターさんもそうですが、成功者は原理主義的なところがあるものです。いい物はいい、悪いものは悪いという点がはっきりしている。ですから、メッセージ性もあり、実現の可能性も高いと言えるでしょう。

日本人は「SDGsで社会のために貢献する」とは言いますが、欧米ではそれできちんと儲かるような仕組みを作ります。私は医療機器の研究をしていますが、その医療機器を患者さんに使ってもらうためには、実際に商品化して、届けなければなりません。そして、実現にはお金がかかります。ピーターさんは、その点もしっかり考えていて、ロジカルで美しいですね。

ただ、こういった問題は倫理的な問題を含むため、それが社会に受け入れられるかは、また別問題です。倫理というと何か絶対的に正しい基準というイメージがあるかもしれませんが、実際には社会がそれを受け入れるかどうか、という問題にすぎません。社会の側が変わるには時間がかかりますし、活動する人はがんばらなければなりません。

たとえばLGBTの問題もそうです。ピーターさんは、イギリスではじめて同性婚をした方でもありますね。本書では、その過程におけるピーターさんのお母さんの心境の変化が書かれています。LGBTは、70年代は、まったく受け入れられていなかった。でも、長い時間をかけて活動しつづけていたわけです。これは研究者としても、科学者としても見習わなければならないところだと思いました。

栗栖:私はピーターさんとは比べ物になりませんが、先ほど申し上げたように、自分自身が新しい体で2011年を迎えるという経験をしました。不便な時もありますが、「この状態でこれをやるには、どうすればいいか」と、やりたいことを叶えるための方法を探るというのは、とてもクリエイティブな作業です。

それまで使っていなかったクリエイティビティまで刺激されて、その力によって、自分の足りない部分を補っているようにも感じています。そういう意味で、「なんとかする方法はないか」というピーターさんの姿勢にはものすごく共感できました。

ネオ・ヒューマンとはなにか?

三木:あえて観念的に表現すると、彼は「死なない」「永遠に生きていく」ということを言っているのだと思います。

人は、何かを残したいものです。子どもを残す、作品、業績を残すなどいろいろありますが、なにかを残すという死に方がありますね。一方で、かつての日本には、「人は、死んだら山に帰るものだ」と捉えられていた時代もありました。現在の死とは感覚が違います。

そして今は、死というものを個人ベースで考えています。その中には、ピーターさんのようにAIとして生き続けることを選択する方もいる。選択肢が増えたからこそ、自分はどうしたいのかということを、きちんと考えなければならない世の中になるかもしれません。それは大変なことだと思います。

南澤:僕は、100年前の人から見れば、僕たちはすでにネオ・ヒューマンなんだと考えています。いや、小学生の頃の自分から見てもそうかもしれません。どこかへ行くために、事前に地図や時刻表を調べなくても、気づいたら到着しているという時代です。

僕たちの行動原理は、テクノロジーによって10年単位でどんどん変わっている。ある意味、僕たちは、常にネオ・ヒューマンだとも言えるのではないでしょうか。

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