1日3往復、住民の「最後の命綱」離島航路の実情 震災10年の津波被災地をたどる・牡鹿半島編

✎ 1〜 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

終点の鮎川港には9時50分着。観光交流拠点施設「ホエールタウンおしか」の前で、先述の網地島ラインや金華山への観光船の桟橋もそばにある。これから乗る牡鹿地区市民バスのバス停もミヤコーバスと同じ場所にあるが、鮎川南と名称が違う。津波で壊滅した鮎川の中心地は、10年以上が経過してもまだまだ復興工事中だ。並べて展示されていた震災前後の2枚の写真を見比べると、身が震える思いがする。

鮎川港に到着したミヤコーバス(筆者撮影)

牡鹿半島の突端にある金華山は観光地として有名であるが、一般的な有人島ではない。震災前は毎日、鮎川と女川から観光船があり、鮎川、金華山、女川と乗り継げたが、今は日曜・祝日だけの運航になっている。コロナ禍の追い打ちも併せて、観光業への影響は計り知れない。

市民バスは小学生の通学手段

ミヤコーバスが牡鹿半島の西岸を走るのに対し、東岸にもいくつかある集落へは、鮎川から2系統の市民バスが走っている。牡鹿町時代から走っていたものが受け継がれている形で、運賃は200円、300円、400円の3段階だ。

だがこれもローカルバスの原則で、まず乗車した泊〜清優館線の泊浜海岸行きでは、鮎川のデイサービスセンター清優館を11時30分に出る便が「始発」。それが12時08分に泊浜海岸に着いて、12時35分発で折り返すのが鮎川方面行き「最終」。これで往復するしかない。泊浜から後で乗る寄磯鮎川線の途中、谷川までのバスもあるにはあるが、朝6時50分発1本だけでは、いかんともしがたい。

泊浜海岸を走る牡鹿地区市民バス(筆者撮影)

ワゴン車に乗ったのは往復とも私1人。小さな漁港の新山に立ち寄った他は、やはり延々と人家のない山道を走る。途中、山中で立体交差があってちょっと驚くが、元有料道路の牡鹿コバルトラインだ。今は一般県道だが、ここを走る路線バスはない。泊浜海岸のバス停は海から少し山手へ上った集落の中で、そこまでは分譲地のような段々の宅地跡がつらなり、作業小屋だけが建っていた。住民はやはり、高台へ移転済みだった。

次ページ小学生の通学の足
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事