1日3往復、住民の「最後の命綱」離島航路の実情 震災10年の津波被災地をたどる・牡鹿半島編

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網地島ラインは、石巻市中心部に近い「いしのまき元気いちば」のそばにある中央発着所と、前回めぐった門脇地区に乗り場がある。海運会社や地元自治体が出資して1978年に設立された第三セクター会社で、ローカル公共交通を担う三セクとしては、かなり早い時期の設立だ。

今回は中央12時30分発のフェリーに乗った。門脇では自家用車1台をはじめ、生活必需品、建設資材などが次々に積み込まれる。離島は船しか交通手段がなく、トラックでちょっと行ってくるとはいかない。この航路が「命綱」なのだ。東日本大震災の時も船は無事で、2週間ほどで暫定的に運航を再開したそうだ。

途中、田代島のネコを船上から眺めて網地島の長渡(ふたわたり)に14時10分着。

牡鹿地区市民バス網地島線(筆者撮影)

14時51分発で折り返すつもりだった。けれども、長渡ともう1つの港、網地を結ぶ牡鹿地区市民バス網地島線をたどれることに気がつき、14時42分にやってきた小型バスに乗り込む。島の集落は2つしかないから、山間部を通した道をひたすら走る。途中、どこかで作業をしていた人たちも乗ってきた。自家用車をフェリーで持ち込むと高くつくため、市民バスを頼りにしているようだ。離島独特の事情である。

市民バスは当然、航路と接続して運転されており、網地に14時53分に着くと15時12分発の船がやってくる。それで石巻へ戻った。鮎川に宿が取れなかったので、やむをえない。

捕鯨の町、鮎川はまだ復興途上

翌朝、石巻駅前8時37分発のミヤコーバス鮎川線、鮎川港行きをつかまえた。旧牡鹿町内を走る民間の路線バスはこれだけで、石巻駅前発着が3往復、途中のイオンスーパーセンター石巻東店発着が3往復あるが、午前中の石巻駅前発は私が乗った1本だけである。

石巻駅前のミヤコーバス鮎川線(筆者撮影)
月浦の支倉常長像(筆者撮影)

渡波駅前までは山間部を行くJR石巻線に対し海沿い、水産業が盛んな漁港エリアを走る。通勤客も何人か乗っていたが、渡波までにすべて降りてしまう。湖のような万石浦の入り口の海峡を橋で渡り、牡鹿半島へ。

牡鹿半島も険しい地形で、県道も山の中腹を縫って走るような区間が多く、随所でトンネルや架橋による改良工事が進む。海側から津波に襲われると湾の奥に固まる集落が孤立してしまうので、高台を通って結ぶ道路が、これも命綱として重要だと痛感する。現に途中にある漁港の多くは、海沿いに漁業施設だけを残して、高台にある新しい住宅地へと集団移転を済ませていた。支倉常長の出港地として知られる月浦もそうで、時間調整でバスがしばし停まったから、バス停近くに立つ銅像と海の景色を眺められた。なお、より海岸に近いところを走る萩浜地区住民バスもあるが、住民専用だった。

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