1日3往復、住民の「最後の命綱」離島航路の実情 震災10年の津波被災地をたどる・牡鹿半島編

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鮎川南まで戻り、ミヤコーバスに乗り継いで、14時38分に大原で降りる。牡鹿半島では大きな集落だが、やはり海岸沿いには空き地が広がる。少し歩いて大原小学校へ。小学生たちと見送りの先生と並んでベンチに座って、14時50分の寄磯行き市民バスを待つ。寄磯鮎川線の大原小学校始発便で、寄磯も牡鹿半島東岸の小さな漁港だ。

寄磯を走る牡鹿地区市民バス(筆者撮影)

このバスは小学生の帰宅の足、そのものであった。途中、○○団地と名乗るところをいくつか通る。いずれも山の中腹。海岸沿いからの集団移転先だ。そこで子供たちが降りる。過疎化、少子高齢化は著しいが、数えるほどの小学生であっても、きちんと送り迎えをする。時刻表を見ると、大原小学校が運転系統の1つの要となっていることがわかる。

スクールバスを兼ねた移動手段

これまでいくつかの市営バス、町営バスに乗ってきたが、スクールバスを兼ねているような姿はあまりなかった。人口が少ないゆえ、高齢者の通院や買い物などをはじめ、旧牡鹿町内のあらゆる交通機能を市民バスが一手に引き受けていると見受けられる。やはり山道を進み、小さな漁港に立ち寄りつつ寄磯には15時30分着。すぐ折り返す便には、寄磯小学校の前からやはり小学生が乗ってきた。

最後は渡波駅から石巻線で女川へ(筆者撮影)

寄磯は、牡鹿半島の東側にさらに突き出した小さな半島にある漁港。その付け根に建っているのが、運転休止中の東北電力女川原子力発電所である。敷地の大半は女川町域で、道路はもちろん鮎川側とつながっているが、バスの路線は途切れている。私は大原へ戻り、ミヤコーバスで渡波、今回唯一の鉄道となるJR石巻線で女川へと進んでひと区切りとした。女川行きの列車は高校生を満載して渡波に到着。ローカル鉄道といえども、バスとは需要の規模が大きく違う。

土屋 武之 鉄道ジャーナリスト

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つちや たけゆき / Takeyuki Tsuchiya

1965年生まれ。『鉄道ジャーナル』のルポを毎号担当。震災被害を受けた鉄道の取材も精力的に行う。著書に『鉄道の未来予想図』『きっぷのルール ハンドブック』など。

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