商店街への取材では、長田は“震災の街”からすでに脱却した、という声も聞こえてきた。店主の中には復興という名目があったからこそまとまった、という意見もあった。その一方で、震災から26年が経った今、新たな課題が生まれてきているのも現状だという。
「大きな商店街はどこも抱える問題ですが、本質的には自分が属する商店街、もっといえば自分の店にしか関心がないわけです。新長田でも同様に地域で協力して面で人を呼び込む、という感覚が乏しかった。それが震災復興という共通の目的があったことで、みんなで手を取り合いまとまっていこうというムードになった。皮肉にも震災という出来事があったことで、商店の意識は変わったわけです。
しかし今は代替わりも進み、組合に若い世代も入ってきて当時の様子を知らない人も多い。少しずつテナントの空きも目立つようになってきたし、後継者がいない店もたくさんある。ここ数年はそれらの解決策が見つからないままで、危機感を感じていますよ。まとめ役となる森崎さんのような人もいません。正直、今は商店街で一致団結して、という震災後にあった雰囲気ではないですね」(伊東さん)
タクシー業界を「タノシー」業界にしたい
近畿タクシーが徹底してきた営業スタイルは、地域のインフラを担うタクシー会社の存在意義の根幹にも通じており、今後いっそう厳しくなるであろう地方タクシーの生き残りの1つの形であるようにも感じる。森崎さんにあらためてタクシー会社が地域に根づく意味を聞くと、こう答えた。
「私自身、もともとは自分がまちづくりに深く関わっていく、という発想もなかったんです。だから震災前と後では、まったく違う人生となりましたよ。タクシーは公共交通機関であり、人々の移動を支えることが本質的な役割です。ただ、単なる移動手段ではなく、やり方次第で人や街を繋ぐ役割もできる。
今後、少子高齢化が進む中で、医療や福祉というライフラインを補助することも求められるでしょうし、そこに生き残りのヒントがあるという気もしている。
理想論と思われるかもしれませんが、タクシー会社が地域に根づくことと、従業員の生活を守るための最低限の売り上げを両立させていきたい。つねにアイデアを練り、視点の角度を変えることで、タクシーの世間からの見られ方も変わっていくと信じているんですよ」
震災の街から、観光の街へ――。変貌を遂げた長田の街に特化してきた近畿タクシーの理念は、商店街の人々の意識を変え、それが街全体へと波及していった。
「私ね、会社をタクシー業界から脱皮させて、『タノシー』業界にしたいんです」
間もなく70歳を迎える森崎さんは、そういって満面の笑みを浮かべた。
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