神戸・長田、復興支えた老舗タクシーの「凄い行動」 阪神・淡路大震災26年、地域密着貫く男の生き様

✎ 1〜 ✎ 21 ✎ 22 ✎ 23 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

近畿タクシーのホームページを確認すると、「スイーツタクシー」や「神戸ビーフタクシー」、「六甲おろさないタクシー」など地域の特色を生かした15ものプランが提示されている。「近畿タノシー」と銘打たれたこれらは、森崎さん自らが地場の声を聞き、パッケージ化していったものだ。

実はこのようにタクシー会社が定額料金でプランニングする例は全国でも散見され、企画自体はそれほど珍しくない。

ただ、近畿タクシーが特殊な点は、売り上げを重視した自社主導ではなく、地域と提携をより強めることを目的としていた点だ。そこで客から聞いた声を地域に還元し、タクシーの現場から街の魅力を見つめ直した。こういった経験を経て、森崎さんはより長田という地域の“面”で観光客を誘致することに腐心するようになった。

当初は商店街の寄り合いで観光地構想を掲げても、真剣に聞く人は少数だった。地元を離れた時期もあり、各商店街と強い関係性を持っていたわけでもなかった。それでも根気強く必要性を説き続け、一人また一人と賛同者を増やしていき、7つ(現在は6つ)の組合は徐々に“面”となっていく。

とはいえ、個人での活動にはどうしても限界もあった。森崎さん自身も、「あくまで自分はキッカケを作っただけ」と明言する。

外からの目線で客観的に見ていた

実際に商店街側からみると、これらの提案はどう映っていたのか。大正筋商店街に店を構える「お茶の味萬」の代表を務める伊東正和さん(72)は、第三者的な目線があったことで商店街が1つにまとまったと回顧する。

商店街の復興に尽力してきた森崎さん(左)と伊東正和さん(筆者撮影)

「昭和初期から続く歴史がある商店街もあり、おのおのがプライドを持つ商売人の集まりなわけです。それゆえにまとめ役のような存在がいなく、素直に人の意見に耳を傾けるという土壌もなかった。

そんな中、外からの目線で客観的に長田の街を見ていたのが森崎さんだった。わかりやすくいうならコンサルタントに近い立場といえますが、コンサルタントだと地域の理解が足りず私たちとの距離が遠い。それが彼の場合はほどよい距離感でした。だから、みんな素直に意見を聞けたんです」

観光の礎となる商品が生まれたことも、森崎さんの存在が大きかったと続ける。

「森崎さんのことを一言で表現するなら『アイデアマン』です。彼の発言から、長田を本気で観光の街にしようと店主たちに熱量が生まれた。『人を呼び込むには名産物がいる』と言って土産となる地場の商品の開発を提案し、定着化させ、『人が見たいと思う目玉を作ろう』という何気ない発言が『鉄人28号』のモニュメントを建てるという大きなプロジェクトに繋がっていった。

そういったわかりやすい“売り”ができたことで、実際に旅行会社への営業もスムーズになっていき、三ノ宮からほど近いのに観光の要素に乏しかった長田の街は、大きく変わったんです」

次ページ震災から26年経って生まれた新たな課題
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事