元不登校の五輪選手が感謝する親の勇気ある対応 学校に行きたくない子とどう向き合うべきか

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大阪に住む社会人5年目の南條翔希さん(22)は、中学1年の秋から3年まで不登校を経験した。

小学校時代は、少年野球チームに所属し4番ファーストとして活躍していた。明るく友達も多かった。中学入学後も迷わず野球部に入部したが、待っていたのは小学校時代との大きなギャップだった。

「大好きな野球が(部活で)毎日できる! と楽しみだったのに、1年生は球拾いとランニングばかり。球を拾っているか走らされているか、怒られているか……。自分がやりたい野球ができなかった」

もともと走ることは得意ではなく、気がつけば落ちこぼれのような存在になっていた。中1の夏に野球部を退部。追い打ちをかけるように、学校の勉強にもついていけなくなった。野球や勉強から逃げたくなり、一度休んだ。次に学校に行こうとするも、周囲からどう見られるかが気になり、そのまま休み続けた。

「僕を学校に行かせようとした父親に廊下を引きずられて、(リビングの)扉をつかんで必死に抵抗しました。そのとき扉が壊れて、今もそのまま残っています(笑)」

不登校だからって大したことじゃないと思えた

今でこそ当時のエピソードを明るく笑い飛ばすが、不登校になってからは「周囲の目が気になり、家から出られなくなった」。

いつしか、両親は何も言わなくなった。最初はテレビを見たりして気ままに過ごしていたが、そのうち何をしたらいいかわからなくなった。家族以外のつながりは、たまに様子を見に訪れる学校の先生だけだった。

「退屈やなぁというのが最初のしんどさ。人とのつながりがなかったのが辛かったですね」

南條さんは、高校からリスタートしようと決意。母は自宅から通えるさまざまな高校の資料を取り寄せてくれた。その中で、家からいちばん遠い通信制の高校を自分で選んだ。高校では自分のことを知る人はおらず気が楽だった。南條さんは「不登校」を卒業した。

「当時は、この先どうなるのかという不安がしんどかったけど、時間が経つと、不登校だったからって大したことじゃないなと思えた。むしろ、あまり人がしていない経験ができたなと」

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