元不登校の五輪選手が感謝する親の勇気ある対応 学校に行きたくない子とどう向き合うべきか

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転機になったのは高校入学だ。漠然と、高校で水泳を続けたいと思っていたが、内申点がないと進学するのは難しいと耳にした。両親からは、学校に行かないなら16歳になったら家を出るように言われていた。

進学をあきらめかけていたとき、天理高水泳部の監督から誘いを受け、半年ほど勉強して受験。入学後、寮に入ったことで、休まず学校に行くようになった。「高校で水泳が続けられるだけでうれしかったので不安はなかった」と当時を振り返る。

スポーツ名門校での寮生活は苦しいこともあったが、「それ以上に、人と関われる楽しさや、真剣に向き合ってくれる同期や先輩の存在が大きく、充実した3年間だった」と砂間さんは言う。

卒業後は、強豪水泳部のある中央大学に進学。大学4年時、初めて本気で目指して挑んだリオ五輪の代表選考では3番手。惜しくも代表入りを逃した。プールサイドに上がると、水泳部の同期たちが泣いていた。仲間を泣かせたまま終わりたくない、という思いが東京への原動力となった。

「努力し続けることの大切さや、1人では進めないこともわかって、人としても成長できた。水泳って最後は1人で泳ぐけど、それまでに関わってくれるたくさんの人と一緒に、五輪のメダルを目指す、その過程が大切だなと感じました」

学校に行かなかったことは「よかった」

社会人4年目の今年、念願の代表入りを果たした東京五輪では準決勝で敗退。目標としていたメダル獲得はならなかったが「次のパリ五輪ではメダルを獲りたい」と力強く誓う。

東京五輪後には、結婚も発表。まずは水泳選手として、さらなる高みを目指し、その先には、子どもたちに水泳の楽しさを伝えたい、という夢もある。「僕は、水泳に育ててもらったので、少しでも水泳に還元したい」。

「不登校」が過去のことになった今、砂間さんは「学校に行かなかったことは、自分にとってよかった」と肯定的に捉えている。

「学校で得られることはたくさんあると思うけど、行かなかったことで経験できたことや、気づけたことがたくさんある。僕の場合は水泳をやっていたことで、いろいろな年代の人と出会えたし、合宿や遠征でいろんな場所に行けたことがよかった。長い目で見守ってくれた両親には感謝しています」

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