元レンタル彼氏「大学で男の生きづらさ研究」の訳 ネオヒューマンに見る「利他的な愛」という希望
生きづらさと向きあいたくないという心理から、抑圧する側に回ってしまうということも起きています。「バイトテロ」はその典型です。バイト従業員が、コンビニの冷蔵庫に入ったり、商品を舐めたりする動画を投稿する事件がここ何年かで相次ぎました。
近代以降の男性性は、「所有」「優越」「権力」の3つが叶えられて実現されるものでした。しかしこれら3つはそう簡単に叶えられるものではありません。この不安定なゲームのなかに放り込まれ、その中でどう男性性=「男らしさ」を獲得するか。その手段のひとつが、「逸脱」なのです。
逸脱して、バイトテロと言われる行為をすることによって「俺、スゴイだろう」という心理になる。そして、その様子をSNSに投稿し「いいね」をもらうことで満足するわけです。
「愛されたい」若者へ
恋愛をテーマとしたドラマやポップカルチャーなどを眺めたとき、日本には「愛されたい」という人がたくさんいることがわかります。
僕も若者の1人ですが、やはり「愛される」ことに重きを置く若者は多いなと思います。愛されるということがベストで、このうえない承認だと思っている人が多いのです。でも、僕は、いかに「自分が愛する」ということが大事なのかを伝えたいといつも思っています。
例えば「モテない」と自認する男性にとっては、「彼女ができる」ということが、それまでの生きづらさがすべてチャラになるほどの威力を持つことが往々にしてあります。もちろん、本人が生きやすくなるのならいいのですが、僕からすれば少し違和感があります。
恋愛は、自分のさみしさや欲望を埋め合わせるために存在するものではなく、ピーターさんのように、愛する人と共に過ごすことに生きる意味を見出し、それを叶えるために、それまでの自分を超越するほどの新たなエネルギーを生み出すという大きな作用を持つものだと思います。
そういった「利他的な愛」の姿をも見られるからこそ、ぜひ中学生や高校生にも本書を読んでほしいですね。
僕には、将来、中高生のためにジェンダーや男性学の授業やワークショップをやりたいという夢があります。そこで、男性と女性というベースに関係なく、人と人として互いに近づき、「愛し合う」だけでなく「慈しみ合う」という言葉を使って、教育のなかで愛や慈しみといった利他に触れられる機会を作れたらいいなと思っています。
思えば、日本社会のなかでも、特に中学や高校といった閉鎖コミュニティーほど同調圧力は強いものです。夏休みになれば、みんなが花火大会に行き、ディズニーランドに行き、インスタグラムに写真をアップすることが学生にとっての最大幸福とみなされます。「素敵」な写真をSNSに投稿して「いいね」をもらい、承認欲求が満たされる。
もちろんこれが真に幸せであれば尊重されるべきですが、「みんながやってるから私も」と実は同調圧力によって「幸せ」と思わせられていることだってあります。
中には、家に閉じこもって、本を読みあさり、絵を描くのが好きだという子もいるわけです。でもそれが、「陰キャ」といった名前に押し込まれてネガティブなことかのように受け取られてしまう。それはなかなか苦しいだろうと僕は思います。中高生ほど「ダイバーシティー」からかけ離れている世界はないとすら思うほどです。
『ネオ・ヒューマン』は、ALSやジェンダー、生きづらさというテーマだけでなく、より広く、「もっと頑張れるはずだけど、今の現状にくすぶっている」という方々を奮い立たせてくれる内容です。ぜひ手に取ってみてほしいですね。
(構成:泉美 木蓮)
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