元レンタル彼氏「大学で男の生きづらさ研究」の訳 ネオヒューマンに見る「利他的な愛」という希望
僕は大学3年生まで「レンタル彼氏」というアルバイトをしていました。学費を稼ぐためとはいえ、当時は水商売の世界で働くことに引け目があり、友だちにも家族にも黙っていました。4年生になってからは、もう1つのアルバイトだった塾講師のほうに専念しました。今までの「レンタル彼氏」としての記憶、水商売をやっていたという記憶はなかったものとして、消し去ろうとしました。
塾講師のアルバイトだけやって就活も院試も何もしなかったので、卒業後はフリーターになりました。来年からの将来をどうしようか考えるなかで、とにかく興味ある本を片っ端から読み漁りました。そこで出会ったのが「ジェンダー」という言葉でした。なんとなく聞いたことはあるけど何かビビッと感じるところがあり、もっと読んでみると、「あ、俺の悩みはこれだったんだ」ということがわかったのです。
その後、東工大の大学院へ進学することになります。ある日のゼミのとき、些細なことがきっかけで、今まで他人に言うことのできなかった自分が「レンタル彼氏」をやっていたことを先生や学生の前で打ち明けました。すると先生から「いいじゃん。それ研究できるよ」と言われたのです。
それまでの僕は、感情が思考のベースになっていましたが、学術の世界は、論理がベースです。まったく思考の違う世界に入り、感情だけでとらえていた「レンタル彼氏」を、自然と論理的に考えることになったわけです。すると、それまで自分が隠してきた経験が上から俯瞰できるようになって、打ち明けられるようにもなって、そして研究にも生かせることに気がつき、とても心が軽くなりました。
ピーターさんは、ロボット工学者として、難病を克服し、自由を得たいという思いで、自分を実験台にしていきました。その点で、自分を研究対象とした僕とは共通するところがあるかもしれません。学術の世界にいることで、それまで自分をとらえていたものから解放されていく……そう考えると、僕にとっては非常に共感できるところです。
ただ、僕が特別に彼とつながる部分があるというわけではないとも思います。誰もが何かをきっかけに、それまで苦しみだと思っていた過去が「あれはいい経験だったのかもしれない」と思えるときがやってくるなんてことは、決して珍しいことではないでしょう。
日本の男性の生きづらさとは
近年のコロナ禍において「当事者」という視点・視座が重要なキーワードになっていると僕は思います。
生活において多くの制限があり、新たな出会いが叶わず、さらに悩みを抱えている若者は少なくありません。みんなが「今はつらいときだからこそ歩み寄らねばならない」という利他的な精神を求められる、誰もがそんな当事者として生きている時代でもあります。
そういったなかで、ピーターさんの数々のエピソードは、一見、遠い世界の話のようでありながら、実は、心や病気の苦しみ、パートナーシップ、他者へ抱く愛など、彼のつらさに対して共感できるものが多いのではないかと思うのです。
本当の意味で自分の苦しみを共有できる他人はいませんし、簡単に「わかるよ」と言われると逆にモヤッとするものです。とはいえ、わかりあえる人が欲しい……。きっと誰もが、これらのはざまにいる「当事者」という存在なのだと思います。
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