佐藤:その日の朝、日経新聞の『大機小機』というコラムを読んでいたら、ちょうどその内容が出ていたので、役員の方からの電話にも「あ、『大機小機』に載っていましたね」とパッと答えたのを覚えています。
それまでのわずかな経験上、「役員からの質問にはできるだけ早く答えるものだ」と思っていましたので、何とかしないと、と思ったのですが、課長も課長代理も席にいない。携帯電話のない時代ですし、少人数の課でほかに指示を仰げる人もいなかったので、とりあえず自分で調べられることは調べてレポートにまとめ、そのレポートを誰のチェックも受けずに、役員室まで持って行ってしまいました。役員の方は「ありがとう」と受け取ってくれましたが、後で課長に電話があったようで、怒るというよりは半ば苦笑されていたようですが、後日、課長から、「レポートは上司の稟議を経てから役員に上げるものだよ」と教わりました(笑)。
三宅:大手の損保会社において、役員と1年目の新入社員が直接言葉を交わすなんてことは、まずないのでしょうね。
佐藤:もちろん総合企画部という部の特性で、日頃から役員との接点はありましたが、今、思うと新人がレポートを役員に直接渡すことはなかったと思います。ただ、当時の役員も私の勢いは買ってくれましたが(笑)。
育休明けに大型商品を開発
三宅:佐藤さんなら、社長が相手でも同じことをしたような気がしますね(笑)。
そして、入社4年目に火災新種業務部(現・企業商品業務部)の賠償責任グループというところに異動になったのでしたね。いわゆる商品開発をする部署で、ここで「超ビジネス保険(以下、「超ビジ」)」という商品の開発をされたと聞いています。このとき佐藤さんは入社10年目で、かなり中心的な役割を果たしたとも聞いていますが。
佐藤:賠償責任保険だけでも100種類くらいありますから、それまでにも小さな商品開発の経験はありました。とはいえ、「超ビジ」のような大型商品の開発は、私にとっては初めての経験で、大きなチャレンジでした。
「超ビジ」は事業活動包括保険といって、企業の事業活動に伴う幅広いリスクをひとつの保険で包括的に補償するという商品で、建物や設備などの財産を補償するリスクから、賠償責任のリスク、従業員の労災のリスクなど、いろいろなリスクをあまねくカバーする、業界においても初めてとなる商品でした。こうしたリスク横断的な保険商品を作るには、それぞれの分野で専門性が必要になりますので、部署を超えてプロジェクトチームが作られ、「超ビジ」の開発を始めました。そこに私も賠償責任の専門家という位置づけで、チームの一員として加わりました。
しかもこのプロジェクトは、東京海上と日動火災が合併するにあたっての共同開発商品という位置づけでしたので、会社の枠を超えて両社の商品開発部署との連携も必要でした。
三宅:「超ビジ」を手掛けたことで、佐藤さんの社内における知名度がグッと上がったそうですね。後にリーダーとして商品開発部門に戻る際には、「超ビジを作った佐藤さん」として認知されていたとか。
佐藤:自分では、この商品を作った当時は、こんな大型商品になるとは思いませんでした。それまで当社は大企業マーケットに強く、中小企業マーケットは劣勢でした。そこで中小企業マーケットに打って出るための戦略的な商品として、マーケットのニーズを探ることからスタートしました。中小企業の経営者、経理などの実務者の方や、保険の販売代理店さんなどに数多くヒアリングをしてニーズを探り、いただいた意見を一つひとつ吟味しながら、できるものはすべて商品に反映していきました。今ではこういうマーケットインの作り方は当たり前になりましたが、当時としては画期的な商品だったと思います。
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