三宅:そういう中で、東京海上に決めたのはなぜですか。
佐藤:私が就職した頃はバブル期で、学生にとっては売り手市場でしたから、人材を確保するために、企業が積極的に大学に出向いて会社説明会を開いたりしていたんですね。私がいたゼミにも、東京海上に勤めている先輩が説明に来ましたが、そのときその先輩に、「腰掛けではなく、ずっと働きたいと思っている」と話したところ、「うちの総合職を受けてみたら」と勧められたのがきっかけです。
それで面接を受けてみたら、会う面接官のみなさんがとても話しやすいのです。ほかの会社では自分の感覚とズレを感じることもあったのに、この会社では誰と話をしてもすごく自分を出せるというか、素直に自分の話ができる。自分にとって水が合うと思いました。今思うと、とても幸せな就職活動でした。
最初の配属は、いきなり経営企画
三宅:入社して最初の配属は、総合企画部(現在の経営企画部)という経営にいちばん近い部署でしたが、これは、何か理由があったのですか。
佐藤:なぜそこに配属されたのか、いまだによくわからないのです(笑)。自分としては営業を希望していたので、配属先を聞いたときはびっくりしました。どんな仕事をするにせよ、まずは第一線の仕事を知らなければいけないと思っていましたので。
三宅:たしか、御社は新入社員の多くがまずは営業部などの第一線に配属されていますよね。
佐藤:そうですね。でも私が新入社員だった頃は、男女雇用機会均等法が施行されたばかりで女性総合職も今より少なかったですし、会社も手探り状態だったのではないかと思います。当時、女性総合職で営業に配属された人はいなかったと記憶しています。今は、新卒の女性が営業担当として配属されることは珍しくないので、隔世の感があります。
三宅:それにしても経営にいちばん近い部署に、総合職の新人の女性が配属されるのは初めてだったでしょうね。
佐藤:ええ、でもいちばん戸惑ったのは受け手のほうではないでしょうか(笑)。まだ女性総合職の少ない時代でしたので。1年くらい経ってから、当時の課長に、「最初は、どんなふうに接すればいいのかわからなくて内心困ったよ」と言われました。でも、私みたいな人でよかった、とも言ってもらえました。
三宅:どういう意味ですか。
佐藤:肩ひじ張っていなかったので、あまり気を使わなくて済んだということかなと思います(笑)。
三宅:課長も気さくな佐藤さんにほっとしたと。
佐藤:でも、こちらも若気の至りで突っ走ってしまったこともあります。配属2カ月目くらいで、当時の担当役員からの内線電話をとったのです。「今朝の新聞に、米銀による保険の窓口販売の記事が載っていたから、詳細を報告してほしい」というお話でした。当時、日本では銀行と保険の業際規制があって、銀行での保険の窓口販売はできませんでした。その後、金融ビッグバンによって規制緩和されるのですが、アメリカではすでに窓口販売が解禁されていて、当社もそのあたりの情報収集をやっていた時期でした。
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