確かに、本来国や自治体が担うべき政策医療の側面を、歴史的に民間病院へと押し付けてきた、国の精神医療行政の問題点に関する山崎会長の指摘は理解できる。ただ、認知症の話も含め、山崎会長の主張の前提には、精神科医、精神科病院への徹底した性善説があるが、これまでの連載で見てきたとおり、それは必ずしも当てはまらない。
・治療もないのに「社会的制裁だ」などとして4年間も強制入院させた精神科医(連載第1回「精神病院に4年閉じ込められた彼女の壮絶体験」)
・「捜査機関の奴らが認知症やら何やらで精神科に来たら問答無用で隔離室に放り込んで、徹底的に痛めつける」といったメールを送った精神科医(連載第2回「精神病院から出られない医療保護入院の深い闇」)
・身体拘束を「ものすごい羨望を集める特別待遇」などと言ってのける精神科医(連載第11回「14歳の少女が精神病院で体験した『極限の地獄』」)
……、など、本連載の中だけでも、問題事案は枚挙にいとまがない。
嫌がるひきこもり当事者を自宅から無理やり連れ出し、家族から高額な費用を巻き上げる「引き出し屋」の手先ともいえる役割を、結果的に精神科病院が果たしているケースもある(連載第10回「引きこもりの彼が精神病院で受けた辱めの驚愕」)。
また長期入院からの社会復帰を果たした当事者からは、山崎会長の認識(「病院に長期入院でいるほうが、僕は幸せな気がする」)とは異なる声があがる。
福島県内の精神科病院に約40年間入院した伊藤時男さんは、「社会に出て生活できる自信がなく『施設症』に陥っていたが、実際退院すると日常生活に支障はなく、今は自由な日々をのびのび過ごし、60歳からの青春を楽しんでいる途中です」と話す(連載第5回「精神病院40年入院、69歳男が過ごした超常生活」)。
神戸の神出病院に20年間近く長期入院していた60代の男性も、「入院生活中は看護師からつねに行動を監視され注意されることも多く、まるで医療刑務所にいるような気持ちでした。やはり自由に出かけられ、外食で好きなものも食べられる、自宅での生活がいちばんいいです」と力を込める(連載第12回)。
求められる患者本人の権利擁護
日精協は1949年の発足時、その設立趣意書で精神科病院を「常に平和と文化(と)の妨害者である精神障害者に対する文化的施設の一環」と表現している。つまり精神科病院への隔離収容は、精神病者に対する優生的処置の有効な方法というわけだ。
もし山崎会長の発言にあった、社会秩序の維持と保安を精神科病院の役割として強調しすぎると、とうに放棄したであろうこの趣意書の思想へと、精神医療は先祖返りすることになりかねないのではないか。
精神科医らからなる日本精神神経学会は今年6月、「精神科医師の倫理綱領細則」を制定した。
冒頭に掲げられたのが、「人間性の尊重」である。精神科医師は、いかなるときも精神を病む人びとの尊厳と人間性を尊重するとうたい、精神科医師は精神を病む人びとに対しいかなるときも不当な差別的取り扱いをしないと宣言する。
また末尾では、精神科医師は法を順守するとともに、法や制度を改善するよう努めるといい、既存の法を守るだけでなく、精神を病む人びとが法や制度の恩恵をよりよく受けられるよう積極的に行動すると明言している。
形式的な法の順守にとどまらず、患者本人の権利擁護のために、いかに自発的に積極的な行動へと踏み切れるか、今、精神医療関係者に問われているのは、まさにその一点である。(完)
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