70代でスタートアップに再入社した80歳の生き方 80歳・現役エンジニアが生涯夢中を貫けるワケ
それに、仕事の中で好きなことができるように、成果を上げることにはこだわってきました。他の人があまりやらない仕事、例えば特許出願や技術契約といった仕事にも積極的にチャレンジしてきました。
顧客訪問も、実務担当者の時から積極的にやっていましたね。
当時、営業担当に頼まれて客先へ同行する技術者はいても、技術者から「お客さんとこういう話がしたい」と言い出すことはあまりなかったんです。でも直接ヒアリングをすると、顧客のニーズと自分がやりたいことが結び付く部分が必ず見つかるんですよ。
それをベースに新プロジェクトを考え、社内で提案することもありましたよ。顧客のニーズに基づく提案なら、会社もNOとは言いません。それに、他の人がやっていないことを提案すると自分が主体となって活躍できます。
もちろんやるといった以上は、ベストを尽くすし、途中で投げ出すことは絶対にしません。何が何でもやり遂げるという覚悟でやっていましたね。
どんな状況に置かれても、提案型のスタンスを貫き通す
私は仕事の周期を大体3年くらいで考えているんですよ。自分が始めたことを3年くらいかけてある程度軌道に乗せたら後輩に任せる。そして、自分はその先に見える新しい仕事にチャレンジ。それを繰り返してきました。
そういう仕事のやり方をしていたせいか、会社から望まない仕事の打診を受けた記憶もほとんどありません。
ただ一度だけ、「(同じ部署にいるのが)長すぎるんじゃない?」という周囲の雰囲気に流されて、ICの開発技術部門から応用技術部門への異動に応じたのですが、それは自分としては失敗でした。業務内容に思ったより興味が持てなくてね。でも異動してしまったからにはジタバタしても仕方ない。自分なりに一生懸命仕事をしていたところ、たまたま中国に合弁会社をつくるという話が耳に入ってきて。
ちょうど天安門事件のころでしたが、直観的にこれはおもしろくなりそうだなと。自分とは関わりが少ない仕事だったのですが、合弁会社の技術者育成や中国の市場開拓のアイデアなどを提案することで、半ば強引にプロジェクトに入り込みました(笑)
この時は管理職だったので、仕事の分担や時間を比較的コントロールしやすく、中国の仕事も並行して進められたんです。管理職の仕事自体はあまり好きではなかったんですが、今思えばその立場だったからできたことですね。当時は中国に目を向ける技術者が少なく、自分のアイデアを比較的容易に推進できました。