自主映画を40年以上支援し続ける「PFF」の信念 「PFFアワード」から多くの映画人材を生み出す
雑誌には、大手映画館で上映されるメジャー作品はもちろんのこと、旧作を2本立て、3本立てで上映する名画座や、「オフシアター」と呼ばれる自主上映まで網羅していた。当時、そこまでの詳細な情報を掲載する媒体がなかったということや、雑誌を見せると割引になる劇場が多かったということもあり、「ぴあ」は映画ファンの必需品という時代が長きにわたって続いた。
当時は自主映画の作家が自ら情報提供をすることもよくあり、そのつながりがPFFの活動のバックボーンとなったという。
元キネマ旬報編集長の掛尾良夫氏は、書籍『「ぴあ」の時代』 (小学館文庫)の中で、「多くの大学で自主映画の活動が活発化していた。大学で作られた作品が既存の興行網に乗るわけもないが、自治体のホール上映などは広がりつつあった。後にぴあがPFFで自主映画を応援する機運の原点はこのあたりにある」と指摘している。
2017年4月には「一企業の活動ではなく、官民を含めた社会全体で事業の継続と発展を支えることのできる環境を整えたい」という思いから、オフィシャルパートナーだった、ぴあ、ホリプロ、日活が中心となって「一般社団法人PFF」を設立。現在は62の企業や団体が参画し、映画祭運営を支えている。それでもPFFは、ぴあのCSR活動として重要な位置を占めており、設立の際には、安定的に運営できることを目的に10億円の基金を拠出している。
入選作品のデジタル保存化すすめる
PFFだけでなく、さらに新しい才能の国際的な飛躍を後押しする「大島渚賞」などの事業を通して、日本の映画文化の底上げを担ってきた。また、日本独自の映像遺産を次世代につなぐためにアーカイブ事業にも力を入れており、過去の「PFFアワード入選作品」のデジタル保存化も推進している。現在は2000年以降のビデオ作品約300本の保存作業を終え、昨年からは1990年代の貴重な8ミリフィルム作品のデジタル化に着手している段階だという。
筆者は以前、PFFのグランプリ経験者である『怒り』の李相日監督に、PFFについて聞いたところ、「そこにあり続ける灯台みたいな感じ」と語っていたことがある。長く続いているからこそ、PFFを故郷とするクリエーターが次々と生まれている。今年はどんな出会いがあるのか、今から楽しみだ。
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