「スフィンクス見物する侍」が背負った驚きの使命 幕末に海を渡った遣欧使節団の知られざる目的
歴史の教科書には、多くの絵や写真が掲載されています。みなさんも学生時代、時には面白いぞと思って目をとめたことがあるかもしれません。でも、ほとんどは、そのままスルーしてしまったことでしょう。ただ、そんな一枚一枚を丁寧に紐解いていくと、大人の皆さんが習った時代とは別の説明がされていたり、はたまた驚くようなストーリーが詰まっていたりするものです。
今回は、そんなメジャーな絵画の裏にある意外な歴史や、マイナーな写真に隠された秘話を掘り起こした書籍『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』より、一部を抜粋してお届けします。
今回の一枚:「スフィンクスと記念撮影するサムライ」
今回の一枚の写真は有名なスフィンクスだが、違和感があるのは、一緒に写っている人々がサムライであることだ。
なんとも珍妙な光景だが、彼らは江戸幕府がヨーロッパに派遣した使節団である。
大河ドラマでは、ちょうど渋沢栄一が徳川慶喜の弟・徳川昭武に随行してフランスに渡っているが、この一行が海を渡ったのは、それより約4年前の文久3年(1863)12月だった。
使節の総勢は35名で、正使は27歳の若き外国奉行であった池田筑後守長発(ながおき)、副使は44歳の河津伊豆守祐邦(すけくに)、目付は30歳の河田相模守煕(ひろむ)。
40代はわずか2名で、メンバーの大半は30代と20代であり、10代も4名いた。ちなみに最年少は15歳だ。
つまり、幕府は若者集団をヨーロッパへ差し向けたわけだ。
その一行が旅の途中、エジプトのカイロに到着し、ギザのスフィンクスを見物して記念写真を撮ったのが冒頭の一枚なのである。
ところが意外にも、初めてピラミッドを目にしたサムライは、彼らではなかった。実は彼らの前年にも幕府使節団がヨーロッパへ向かう途中に立ち寄っていた。
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