サントリーが美術や音楽に「お金をかける」深い訳 二代目社長の佐治敬三が語った文化事業への思い
彼にインタビューした1995年、初めて「先生」と呼ばれた。
「野地先生、ご本は拝読しております」
最初の本『キャンティ物語』を出した後だったけれど、まさかサントリーのトップが若造の本を読んでいるなんてことは想像していなかった。だが、会長室に招かれて、「ほんとに読んでる」と確信した。
大きなデスクには100冊以上もの本が乱雑に積み重なっていて、ドイツ語の原書から若者向け雑誌まであった。『キャンティ物語』の単行本が一番上に置いてあって、ページが開かれていた。芸が細かいのである。
私はこれまでに何十人もの経営者に会ったことがあるけれど、あれほど雑多な本を大量に積み上げて読んでいたのは彼だけだ。同時に、あれほど整理されていない会長室を見たのも、最初で最後だった。それから一年後、ふたたび佐治にインタビューした。
作家の山口瞳さんが亡くなった直後でもあったから、「開高(健)も山口も先に逝きやがって」と涙もろくなっていた。そして、「今は絵を描いている」とイーゼルに掛かった風景画を見せてくれた。なかなかビジネスのインタビューに入らなくて、じりじりしたことを覚えている。
私は「オーナー会社のいいところと悪いところ」を訊ねた。彼はすぐさま「オーナー会社に悪いところは何もありません」と胸を張った。次に「イギリスのビクトリア女王は『君臨すれども統治せず』と言っています。サントリーの場合、鳥井家はどうなんですか」と聞いたら、すごくうれしそうな顔で答えた。
「それは、決まっとる。『君臨しつつ統治する』だな」
それからは事業の話ではなく、オーナー企業がやるべきことについて、語り始めた。それがサントリー美術館、サントリーホールなどの文化事業だったのである。佐治にとって大きな決断の3つ目はビジネスではなく、文化事業をやること、やり続けることだった。
「文化」こそ、本物でなければ
彼は文化事業についてはこう言っていた。
「こういうところがオーナー企業の良いところです。文化、文化と言うけれど、社長がコロコロ変わる会社は美術館なんて造れんでしょう。いまや世の中ではオーナー企業や同族企業なんてのは非難の対象になってますけれど、志とか夢を継続的に実現できるのは、そりゃ、オーナー企業だからですよ。
美術とか音楽も昔からやってきたから、やっとうちの特色になってきているんです。酒と文化が一体化しているように見えるかもしれません(笑)」
サントリー美術館は、1961年、東京・丸の内に開館、1975年には赤坂見附に移転、2007年に現在の東京ミッドタウンに移り、開館している。
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