「教師が教える」から子供が学ぶへ転換が必要な訳 未来の世代が幸福に生きる為の教育に必要なこと

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「何のために学校に行くの?」という問いを通じて見る学校教育の必要性とは?(写真:Pangaea /PIXTA)
「何のために学校に行くのかわからない」という子どもの言葉に、大人はどのように答えたら良いのでしょうか。
学校や教師の役割は、次世代が上手に生きていく力を育むためにあると言えるでしょう。しかし、インターネットで何でも調べることができる今の時代、学校は子どもたちにとって新しいことを教えてくれる魅力的な場ではないかもしれません。
だからこそ、改めて教育を、教師が「教える」方法を探ることから、子どもたちが「学ぶ」方法を深めるほうにシフトする必要があります。
保育・教育に50年以上携わってきた教育学者、汐見稔幸さんの著書『教えから学びへ』より一部抜粋、再構成してお届します。

学校は「新しいことを知る場所」だった

20世紀後半、教育においては「どう教えるか」が中心的な関心事でしたが、近年ようやく「子どもたちが何を学ぶのか」から考えられるようになりつつあります。

教育に携わる人たちの関心が「教え」から「学び」へと移行してきた最も大きな理由は、「これさえ覚えておけば正しく生き、いい社会をつくる力を身につけることができる」と確信を持てるものがなくなったことでしょう。つまり、教師が子どもたちに啓蒙する教育の時代が終わったということです。まず、その移り変わりについて押さえておきたいと思います。

私が子どもだった1950年代は、学校が最も信頼されていた時代です。いまのように学校教育に対して親が疑問を持ったり、文句を言ったりする人はほとんどいませんでした。それはなぜでしょうか。

戦後、「民主主義が大事だ」「平和主義が大事だ」と言われても、戦前から生きてきた親世代は民主主義や平和主義についてよくわかりませんでした。家庭で上手に子どもに伝えることなどできません。

それぞれの家にはまだあまり本がなく、子ども用の雑誌も誰もが毎月買えるものではありませんでした。社会で話題になっていることを子どもにわかりやすく教えてくれるメディアもありません。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(初版は1937年)などの本が出てはいましたが、自宅で読める人も限られていました。

世の中や社会のことなど、新しい事柄を知るためには、学校に行くしかなかったのです。学校で教科書を使って教えてもらったり、先生の話を聞いたりすることが、一番の知のツールでした。教師は、子どもたちや家の人たちが知らないことを知っていました。豊富な知識を持つ教師の話を聞くことは面白く、それだけで十分に満足できました。

子どもたちも、「僕たちが次の時代をつくるんだ」という思いを持っていました。本来、学校は社会を良くすることを練習する場です。社会の理想や目指しているものをみんなが共有していて、それを学校の中で学ぶ時、学校は信頼されるのです。

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