「教師が教える」から子供が学ぶへ転換が必要な訳 未来の世代が幸福に生きる為の教育に必要なこと
さらに学校と教育を大きく変容させるきっかけになったのが1970年代のオイルショックです。原油価格が高騰し、日本中が大混乱に陥りました。化石燃料をベースとした重化学工業中心の産業社会の終焉を示唆する出来事でした。オイルショックにより、それまで右肩上がりだった企業は先が見えなくなりました。このままではダメだ、産業社会のあり方を変えなければと、造船や鉄鋼などの重厚長大のものを作る産業から、軽薄短小なものを作る産業へと変化が起こります。
1970年代には、パーソナルコンピュータも登場します。コンピュータを作ることができなくても、ソフトの開発なら設備投資は少なくて済みます。その後、形のない情報産業やサービス業も一気に増えていきました。
「これ本当に役に立つの?」に答えられるか
教師や大人たちは、産業が大きく変化し、その変化が加速する中で、「これさえ学んでおけば生きていける」という確信を持てなくなっていきます。
1980年代になると、子どもたちの身近な生活の中でも変化が起こります。自家用車が普及し、道路で遊ぶことができなくなりました。家の近所や地元でも遊ぶ場所は減り、テーマパークなどに家族で出かけるようになります。任天堂がファミコン(ファミリーコンピュータ)を発売し、子どもたちは家の中で遊び始めました。クーラーなどもどの家にも入り、生活はリモコン1つで営めるものになっていきました。
学校で教わることよりも日々の生活で出合うもののほうが新しくなり、学校は子どもたちにとって新しいことを教えてくれる魅力的な場所ではなくなっていきました。
また、親は電卓で計算をしているのに、学校の算数では暗算や筆算で計算をしなければなりません。「こんなことをして、いったい何の意味があるんだろう」と思う子が増えるのも当然です。教師たちが「これが大事だ」と思っていることの大部分が、子どもたちにとってはつまらないということが増えていきます。
中学生くらいになると、「これ本当に役に立つの?」と疑問を持ち、親や教師にたずねても、「とりあえず目の前の試験のために勉強をしろ」と言われるだけ。それでは、やる気が失せるのもしかたがありません。成績の良い子はそれでもまだ頑張ることができますが、成績がよくない子どもたちには、「つまんない勉強ばかりさせられて、頑張ったってどうせどこの大学にも行けない」という諦めのムードが漂い始めました。
教師と学校の役割
それでは、これからの教師や学校の役割はどうなるのでしょうか。
「先生は君たちよりもたくさんの知識、新しい見識を持っているから話を聞きなさい」では、子どもたちに通用しなくなっていきます。
「昔は本で歴史を勉強したんだって?」と、珍しく思う時代が来るのも遠い話ではありません。
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