サイボーグ化で「究極の愛」貫く科学者の思考回路 ネオヒューマンが示す「万物を支配する愛の力」
こういった思考実験は、さまざまな物議を醸すでしょう。議論が波及するトピックが、本書には詰まっていると言えます。
次の支配者は「サイボーグ化した生命体」
ピーターさんが自分の体をサイボーグ化していくという行いは、それそのものが、後世に対して大きな影響を与える実験的行為でもあります。ここにも、やはりフランシスさんとの愛が大きく影響しているでしょう。
これは、イノベーションや、科学技術の発展が、いったい何を起点に成り立っていくのかという問いにもつながります。
僕は、イノベーションや発展というものは、「精神的な進歩」と「物質的な進歩」に大別できると考えています。なおかつ進歩のトレンドには、精神的進歩と物質的進歩が交互に来るという波があります。
たとえばスマホは、デバイスが発展してハードなインフラが登場すると、次にはそこに実装するアプリなどソフトなインフラが登場する。それと同じように、それぞれが誘発し合ってイノベーションが進むというイメージです。
そして、精神と物質、その両方の進歩に起因していて、世の中を動かしている大きなエネルギーこそが、愛であるわけです。
ピーターさんは、圧倒的な物理的進歩を自分の体のなかに取り入れています。ではそれが一般に普及して、多くの人々がサイボーグ化できるようになったとき、次に人は何を求めるのか。精神的な進歩に移行していくでしょう。
これを突き詰めて考えていくと、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』でも述べられたような、人類の次に高度な文明を築き、地球を支配する生命体とはなにか、ということを類推していけます。
その1つは「サイボーグ化した生命体」であるというのが、今の段階ではしっくりくる世界線でしょう。
世界が前進してきた起点には、愛があります。愛を完全に数値化、物質化して、切り離してとらえるということを人間ができないかぎりは、これをAIや機械に組み込むことはできません。
できないならば、AIや機械が支配して生み出すイノベーションというものは、愛が起点にある世界とは違う姿になっていきますから、破綻します。
AIがみずから愛というものについて考え、解析しはじめるという仮定もありますが、それはなかなか考えにくい。
そうなると、「今の人類だけが生きていく未来」と「AIが支配する未来」、この2つをアウフヘーベンする世界線として、「サイボーグ化した生命体が支配する未来」という解が得られるわけです。
そんな未来がやってくるのなら、ピーターさんの功績たるやとんでもないものです。『ネオ・ヒューマン』というこの本は、ここから先100年の、人類にとっての1つの教科書になるかもしれません。物理的進歩における、次のビッグウェーブです。
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