「チバニアン」めぐる国際レース参加の意外な経緯 申請チームリーダーが6年半の競争に挑むまで
かつて指導した卒業生との出会い
1993年に茨城大学の助手になってから、すぐに研究室をもち、卒業研究の学生を指導することになった。そのほか、実験科目をいくつか担当することになって、授業の準備などで時間を費やすことになった。このため自分で自分の研究を行うということが難しくなったのだが、自分のやりたいことを卒業研究のテーマにして、研究室に来てくれた学生諸君にやってもらうという楽しみができた。
茨城大学では当時最新だった超伝導岩石磁力計が設置されていた。これは岩石が帯びた弱い磁気を測定できるもので、地層に刻まれた地磁気逆転の痕跡をさぐるうえで大きな武器となる機器だった。しかし僕にとって超伝導岩石磁力計を使うのははじめての経験だった。はじめのうちは、ほかの大学の古地磁気の専門家にアドバイスをもらいながら、手さぐりでの研究活動をはじめた。
研究室の学生さんたちには、まだ古地磁気の研究が進んでいなかった房総半島南端地域の地層の調査などをテーマとして卒業研究をやってもらった。その結果、僕はだんだんと上総層群の研究から離れていくことになった。
ときは流れ、2012年5月。千葉県千葉市にある幕張メッセを会場として毎年行われているJpGU(日本地球惑星科学連合)の大会(大きな学会) でのことだった。ある天気のよい昼休み、僕が屋外のベンチで弁当を食べていると、卒業生の菅沼悠介さんから声をかけられた。
彼は、僕が茨城大学に赴任して5年目くらいに受けもった学生さんで、古地磁気をテーマとした卒業研究を指導した。彼はその後、修士課程は東京都立大学、博士課程は僕と同じ東京大学海洋研究所に進んだ。
この年代の学生さんたちは、博士課程を終えたあとに研究者として正式な職がなく、就職まで大変な苦労をしていた。それだけに、さまざまな研究所できたえられており、とくに彼は世界をまたにかけ活躍するほどの研究者に成長していたのだ。
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