「チバニアン」めぐる国際レース参加の意外な経緯 申請チームリーダーが6年半の競争に挑むまで

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
「チバニアン」認定に喜ぶ岡田誠茨城大教授(左から5人目)等研究者ら(写真:時事)
新たな地質年代として認定された「チバニアン」(約77万4000年前から12万9000年前)。千葉県市原市の地層「千葉セクション」において、地球のN極とS極が入れ替わる現象「地磁気逆転」の痕跡が確認されたことなどが決め手となりました。しかし、「チバニアン」を国際地質科学連合に申請したチームを率いた茨城大学の岡田誠教授は当初、地質時代の区分を決める国際標準模式地(GSSP)の国際レースに挑む予定はなかったようです。『「チバニアン」の時代、地球はどんな姿だったのか』に続いて、岡田教授が上梓した『チバニアン誕生 方位磁針のN極が南をさす時代へ』より一部抜粋・再構成してお届けします。

かつて指導した卒業生との出会い

1993年に茨城大学の助手になってから、すぐに研究室をもち、卒業研究の学生を指導することになった。そのほか、実験科目をいくつか担当することになって、授業の準備などで時間を費やすことになった。このため自分で自分の研究を行うということが難しくなったのだが、自分のやりたいことを卒業研究のテーマにして、研究室に来てくれた学生諸君にやってもらうという楽しみができた。

茨城大学では当時最新だった超伝導岩石磁力計が設置されていた。これは岩石が帯びた弱い磁気を測定できるもので、地層に刻まれた地磁気逆転の痕跡をさぐるうえで大きな武器となる機器だった。しかし僕にとって超伝導岩石磁力計を使うのははじめての経験だった。はじめのうちは、ほかの大学の古地磁気の専門家にアドバイスをもらいながら、手さぐりでの研究活動をはじめた。

研究室の学生さんたちには、まだ古地磁気の研究が進んでいなかった房総半島南端地域の地層の調査などをテーマとして卒業研究をやってもらった。その結果、僕はだんだんと上総層群の研究から離れていくことになった。

ときは流れ、2012年5月。千葉県千葉市にある幕張メッセを会場として毎年行われているJpGU(日本地球惑星科学連合)の大会(大きな学会) でのことだった。ある天気のよい昼休み、僕が屋外のベンチで弁当を食べていると、卒業生の菅沼悠介さんから声をかけられた。

彼は、僕が茨城大学に赴任して5年目くらいに受けもった学生さんで、古地磁気をテーマとした卒業研究を指導した。彼はその後、修士課程は東京都立大学、博士課程は僕と同じ東京大学海洋研究所に進んだ。

この年代の学生さんたちは、博士課程を終えたあとに研究者として正式な職がなく、就職まで大変な苦労をしていた。それだけに、さまざまな研究所できたえられており、とくに彼は世界をまたにかけ活躍するほどの研究者に成長していたのだ。

次ページ火山灰のサンプルをとりに行くと…
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事