司令塔なきゲリラ戦に陥った公約の“脱官僚”--『官僚のレトリック』を書いた原英史氏(政策コンサルタント、元行革担当相補佐官)に聞く
--「官僚内閣制」を正すべきということですか。
たとえば、こういうことを言う人がいる。昔は官僚には優秀な人が多かった。だから官僚主導で世の中が回っていることはよかった。しかし今は、官僚が劣化してきたから正さなければいけないと。それは違う。
国会議員は国民が選ぶことができる。ダメ出しができる。官僚に対してはそれができない。そこが原点。だから国の基本的な政策の方向性は政治主導で決めなくてはいけない。政策の大本、基本的な方向を官僚が決めて、法律をつくる。これに対して、細かな執行、たとえば補助金をどこで何県につけるかといった、その段階になると政治家が前面に出てくる。こういう「倒錯した関係」は正さないとならない。
--民主党のマニフェストどおりにいっていません。
脱官僚は、実際にはほとんど実行できていない。なぜうまくいかないか。それは司令塔なきゲリラ戦になったからだ。
これには二つの意味がある。まず官邸に国家戦略を練る司令塔をきちんとつくらなかった。政策づくりを官僚に依存しない形でやるとすれば、官僚機構に代わって戦略づくりを担う部署はいの一番につくらなければ話は進まない。
ところが局にするには法律が必要として室にしてお茶をにごす。官僚機構に依存しない、しかし司令塔はないでは、マニフェストに書かれたものがなかなか進まないことになる。普天間問題の大混乱にしても司令塔なしでは、起きるべくして起きたと言えなくもない。