司令塔なきゲリラ戦に陥った公約の“脱官僚”--『官僚のレトリック』を書いた原英史氏(政策コンサルタント、元行革担当相補佐官)に聞く
民主党政権になって、一気に進んでいくとみられた「脱官僚」「霞が関改革」。事務次官会議廃止など好スタートを切ったものの、その後足踏み、むしろ後退を始めた。それは「司令塔なきゲリラ戦に終始している」からだという。
--脱官僚がなかなか進んでいません。
私自身、安倍・福田内閣の3年弱、霞が関改革にインサイダーとしてかかわった。安倍内閣のときに天下り規制を導入したり、福田内閣のときに公務員制度を抜本的に改革する基本法をつくったり、そうした施策づくりに参画した。安倍内閣の取り組みを第1ステップ、基本法を第2ステップとして霞が関改革全体に手をつけようというプログラムだった。
--民主党は官僚主導から政治主導へとうたっていたはずです。
日本の官僚主導は、政治家の部下である官僚が頑張って仕事をするという現象にとどまっていない。官僚主導は単なる現象ではなくて制度になっている。しかも上司の大臣を含む政治家は「ばか殿」であるという前提で制度がつくられている。たとえば公務員の身分保障という制度によって、官僚人事に大臣が口出しをしない、特殊な理由がないかぎり免職や降格ができない仕組みがある。
これは、政治家の私利私欲や政略によって官僚の首のすげ替えがされては問題なので手を出せないようにする、それが理由のようだ。だが、本来はそういう政治家の出現を防ぐ手段をとるべきであって、そのような政治家がいることを前提に官僚の世界を聖域にする制度をつくるのは間違い。実際にはこういう制度で当然のように運営されてきた。