妻の体調が悪かったり、アルバイトが突然辞めてしまったりしても、年中無休が売りのコンビニを閉めるわけにはいかないから、タカアキさんが穴埋めするしかない。何日も家に帰れないことも珍しくないという。
親族の中にはまだ子どもが小さな夫婦もいる。妻が生まれたばかりの子どもの育児で手が離せないため、夫が上の子どもを連れて出勤。店舗裏の狭い事務スペースで寝起きさせているという。「賞味期限切れで廃棄になったおにぎりやサンドイッチを食べさせ、日によっては店舗から登下校させています」とタカアキさんは打ち明ける。
コンビニオーナーは現代の奴隷である──。そんな現実が知られるようになったのはここ5、6年のことだろうか。タカアキさんもその奴隷の1人というわけだが、コンビニオーナーたちはなぜここまで働き詰めに働かなくてはならないのか。
原因の1つは、人件費の高騰
コンビニの営業形態には本部直営店舗のほか、外部の個人事業主や会社がコンビニ本部とフランチャイズ契約を結んだ加盟店がある。加盟店は売り上げなどの一部をロイヤルティー(権利料)として本部に支払わなければならない。
コンビニ経営が厳しくなった原因の1つは、人件費の高騰である。タカアキさんがコンビニ経営を始めたのは30年前。1990年度の東京都の最低賃金は548円だった。現在は1013円だから、この30年間でほぼ倍になったことになる。「この間、人件費にかかる経費は1店舗当たりで月20万円増えました」。
もう1つは、コンビニの出店ラッシュで1店舗当たりの売り上げが下がったことだ。タカアキさんの年収は当初は約500万円だったが、現在は約300万円。出ていくお金が増え、入ってくるお金が減る。となると、オーナー自らが身を粉にして働くしかない。ちなみにコンビニ本部に払うロイヤルティーは売上総利益を基に計算するので、人件費が増えようが、1店舗当たりの売り上げが減ろうが、本部は基本的に痛くもかゆくもない。
タカアキさんは大学卒業後、自動車販売の営業担当者として働いていた。このときの顧客の1人からコンビニ店長にならないかと声をかけられたのが、コンビニ業界に入るきっかけだった。
当時は「自店仕入れ」と言われる店長の裁量が大幅に認められていて、タカアキさん自らが問屋や卸売店に出向き、酒類や菓子、野菜などを仕入れ、販売価格も決めることができた。「まだ珍しかった芋焼酎や欧米産のビールを並べたり、近隣のスーパーよりも安く野菜を売ったりしました。自分の店づくりができる。そんな魅力がありました」。
売り上げがよい月は会社員時代の手取りよりも10万円も多い収入を得ることもあった。しかし、1990年代半ばを過ぎるとコンビニ店舗が急増。2000年代後半からは東京の最低賃金は前年比20~30円増のハイペースで上がっていったと、タカアキさんは解説する。
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