──大量の戦死者が出ています。
主役は大砲であるが、フランス成立の歴史的な原点の地ヴェルダンでは30万人の戦死者が出ている。ただし、西部戦線の戦死者の半数は、大規模な作戦中ではなく前線での“静かな"時期の犠牲者なのだ。たとえば小説『西部戦線異状なし』の主人公のように塹壕で撃たれた者も少なくない。塹壕でにらみ合っているといっても、双方が何もしないわけではない。念のため1日20発撃ち込むとか。その死者数が積み重なり、総力戦(全体戦争)に銃後を巻き込んでいく。武器や食料に加え、兵隊も新しい要員を次々に送り込む。
──死者に20代が多いですね。
戦後の年齢分布の統計を見ると、ドイツも英国も普通の人口ピラミッド型ではなく、20代の年齢層の男子だけが大きくへこんでいる。大戦は結局、自分たちの後継者を殺した。大戦で海軍相として大失策をしたチャーチルが、第2次大戦時に浮上してくるのは、彼を追い越すような若い人が少なかったからともいえる。
ドイツはもっとひどかった。ヒトラーはドイツ人ではない。一時はウィーンの街頭のベンチで寝ていた教育もない社会の落ちこぼれが、なぜ首相になれたのか。彼は市民層と自覚していて筋肉労働はやらない。大戦に参加して生き残り、かつ1級、2級の鉄十字章をもらっている。それがなければ、ミュンヘンの最下層の絵はがき描きで終わっただろう。戦場になった欧州では旧来のものが大きく地殻変動を起こす。これが大戦の意義を大きくしている。
戦時下のドイツの生活は貧しかった
──ドイツについて日本に膨大な報告書があるようですね。
1920年に大勢の人を送り込んで、戦時下の調査をしている。極めて詳細だ。やせている人ばかりで太っている人はいない。ドイツは文明国だと思っていたが、寒い中にあまりにはだしの子どもばかりで驚いた。軍靴が必要で、普通のものはなかったらしい。服は継ぎはぎだらけ、せっけんもない。家は資材が塹壕用になったためかボロ家が多い、といった具合で、ドイツ本国の生活の厳しさが書かれている。
そればかりではない。その後、日本が参考にしたような記述もたくさんある。教会や個人の持ち物の金属が供出されたほか、ドイツも基本的には穀物が主食で、生産地では食料配給制をやらない、など。その後の日本と似ているなと思ったら、どうもドイツが手本だったようだ。
──戦争観はかなり違います。
平たく言えば、ひどいことがよそで起これば、助けに行かなければいけないという考え方だ。ドイツは欧州の多くの国や米国に近い。日本の場合は、今の政権は別にして、戦争をすること自体がまずいとして、国民一般はそう乗り気ではないのではないか。それぞれの国で大戦体験の引き出し方が違う。どちらがいいのかは、それぞれ歴史的な経緯があって難しい。世界的には、日本の戦争観は珍しいといえる。
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