大人もわかっていない「いじめとは違いの否定」だ 学校で、職場で「唯一絶対主義」に陥る人たち
しかし、発達障害そのものを否定的に考える人が多いのが現状です。一般の人と感じ方や理解のしかたが異なるだけなのに、不足している点やできない点だけに注目して、マイナスのレッテルを貼ってしまう。発達障害を理由にしたいじめがあとを絶たないわけです。だからこそ教育転換が必要なのです。
ただし、目の前に居る子どもが、学校やいじめが原因で疲弊している場合は、そうは言っていられません。いち早く保護しことが急務です。しかし、子どもにとって学校は、回避が許されにくい場所なんですね。ですので、最後に学校からの回避、つまり不登校についてお話します。
不登校における2つのポイント
不登校について考えるときには大事なポイントが2つあります。それは、「休養」と「栄養」です。からだが疲れたときは、休養と栄養を取りますよね。それといっしょで、心の疲労も休養と栄養を取って、しっかり回復させることが重要です。
1つ目の「休養」というのは、文字どおり休むことです。親としては学校には通ってほしいと思うでしょうが、ここで重要なのは、子どもにとって義務教育というのは「義務」ではなく、「権利」だということです。
逆にいえば親は普通教育を受けさせる義務を負っているわけですが、これは終戦後の生活が苦しいことを理由に、子どもを学校に通わせず働かせていた親がいたという時代背景によるものです。今はそんな時代ではありません。ですから「登校は義務ではない」ということは、みなが認識しておかなければならないと思います。
また、子どもの権利条約第31条にも、「休息の権利」というのが存在していて、日本も批准しているんですね。ところが日本は批准前に法的な整備を行っていません。私は「休息の権利」を法的に認めるんだったら、大人が会社で働く場合と同じような「年次休暇制度」をつくるべきだと以前から主張してきました。