大人もわかっていない「いじめとは違いの否定」だ 学校で、職場で「唯一絶対主義」に陥る人たち

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ですから「ちがい」を否定する教育から、肯定する教育に転換しなければいけません。子どもたち1人ひとりが持つ「ちがい」のよさをていねいに発見し、ほめて、自尊感情を高める教育を取りいれていくことが、何よりも重要だと私は考えています。

発達障害の壁、当事者の問題か

つぎに、発達障害についてお話しします。先ほど、「ちがい」を否定することの問題点を指摘しましたが、まさに発達障害はその個々の特性を「マイナスのちがい」として、当事者も周囲も否定的に捉えがちです。

しかし、発達障害は、能力の発達に緩慢さやメリハリが生じているだけで、本人の障害ではないと私は考えます。周囲の無理解や支援が行き届いていないなどの社会的障壁があるために、日常生活や社会生活に相当な制限を受けるようになった場合を、「障害」と言うのです。つまり、発達障害を持つ当事者自身に障害があるのではなく、社会が障害を押しつけているのです。

たとえば、左利きの人の場合を考えてみましょう。左利きの人が、利き腕では扱えない道具を使う仕事を任されたとします。そうなれば、うまくいかないのは当然のことです。それにもかかわらず、そのことで上司から叱られてうつになったり、あるいはクビを切られたりすれば、日常生活や社会生活に大きな制約を受けた状態になったということです。

もしそんなひどい職場環境があるとしたら、その環境において、左利きは「障害」という状態になったと言っていいでしょう。だけど、利き手に関係なく作業ができる職場に配置されたとしたら、まったく問題なく仕事ができるはずです。当然ながら左利きはそこでは障害ではないわけです。

発達障害にも同じことが言えます。ようするにわれわれの社会が当事者の社会的障壁を完全に取り除けていない状態なのです。さらに発達障害の場合は、プラスの部分にもちゃんと注目すれば、本人の特性はいくらでも強みになりえます。

たとえば自閉スペクトラム症の特性として、写真のような細密な絵が描けるとか、視覚的記憶力がよいとか、そうした強みをたくさん持っています。本人の強みを活かせる環境があれば、さまざまな場で十分に力を発揮することができるでしょう。

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