「賃貸vs購入」に決着?帰属家賃で考えるお得感 金利が低い今は「買うのが得」と思われがちだが
「持ち家に住む人も、実は自分の家に家賃を払っている(持ち家に住む人は、自分自身に家を貸す事業主である)」と、みなすことで、持ち家への居住がサービス消費等にカウントされるかたちをつくりだす。
聞くと、誰もが一瞬不思議に思うが、これをやらなければ正しく国際比較できるGDPがはじき出せなくなるなど、インチキでもなんでもない、真っ当な経済上の概念だ。
家を買うも借りるも同じ経済的行為
そこで、この帰属家賃の考え方を土台に据えていくと、家を買って住むことと借りて住むことは、ざっと見て、同じ経済的行為となる。すなわち、ローンを組んで家を買い、そこに住むということは、自らが購入した家を自らに貸して、毎月家賃をもらうことに等しい。
この場合、家を買い、貸している立場の自分は大家(オーナー)となり、そこに住んでいる自分は店子(たなこ・入居者)となる。店子は、働いて稼いだお金をせっせと毎月家賃として大家に渡し、大家である自分は、こちらもせっせと銀行などにローンを返す。
つまり、持ち家を買って住んでいる人というのは、世の中の賃貸アパートやマンションを舞台に入居者とオーナーが展開している経済行為につき、これを1人2役で演じている存在ともいえるわけだ。
この考え方をベースにすると、賃貸と購入の論理がうまく分解され、わかりやすくなる。
例えば、家の水道が突然壊れ、水が出なくなったとする。店子である自分は「これでは暮らせない」と、大家である自分に文句を言う。大家である自分は「スミマセン」と言って、修理代を払い、水道を直す。結果、店子である自分は水道が直り満足だが、大家である自分の方はというと、思わぬ出費にすっかり意気消沈だ。
家が地震に襲われた。その後、雨漏りが始まった。どこから漏れているのか、調べるだけでかなりの時間と費用がかかりそうだ。
そこで、通常の賃貸物件の店子ならば、「こりゃもう住めない。あきらめよう」で、そこを出ていくこともできる。これこそが、賃貸に住むことの何よりのメリットだ。
が、大家でもある店子の場合はそうはいかない。店子が家を失うことは、イコール、大家自身も家を失うことになる。すなわち、その場から逃げたくとも逃げられない気の毒な店子である自分のために、大家である自分は、なんとしてでも、必死で雨漏りを直してやらなければならない。