敵前逃亡の愚将?「徳川慶喜」人知れぬ苦悩と葛藤

卓越した分析力を持っているのに迷走したワケ

江戸に帰った慶喜への周囲の目は冷たいものだったことは言うまでもない。1月15日、亡き家茂の妻、静寛院(元和宮)にこんなふうに語ったという。

「もはや勝ち目がないと判断して、ひとまず大坂城を退去した」

「ひとまず」と言いながらも、再起を図る気は毛頭なかった。幕臣たちからは「軍艦を大阪に派遣して反撃に転じよ」という声が上がり、慶喜とともに帰還した容保や定敬もこれに賛同。譜代大名からも支持されたが、慶喜は応じなかった。

もう自分は去るべきだと決意を固めていたのだろう。これ以上、内乱が続けば、列強がどういう行動に出るか。外国の公使と交流してきた慶喜だからこそ、その脅威も頭にあったに違いない。徳川家の後始末としては、陸軍総裁に勝海舟を、会計総裁に大久保一翁を慶喜が任命。役割を終えた慶喜は、上野の寛永寺で謹慎生活を送った。

徳川家と朝廷の血を受け継いだ運命を一身に背負った

慶喜の人生はこれからも続く。だが、リーダーとしての人生はここまでである。ここ一番の大勝負に、臣下たちを見捨てて敵前逃亡したのだから、とても名君とはいえないだろう。その一方で、いくら頼もしいリーダーでも、周囲に支えられることがなければ、逆風に立ち向かい続けることは難しい。もう少し幕府内の人材に恵まれていればと思うのは、ここまで慶喜の半生を見てきたひいき目だろうか。

慶喜が、徳川家と朝廷の両方の血を受け継いで生まれた運命を一身に背負いながら、幕末の世を懸命に生きたことは確かである。いつも両方から期待されては、失望され、また期待されて……を繰り返しながら。

幕府が衰退に向かう中で、将軍を引き受けざるをえなかった慶喜。その孤独の深さを理解することは難しい。だからこそ、苦悩と葛藤の末に、追い詰められて醜態を晒した慶喜の生き様は、同じく混迷の時代に生きる私たちの心をとらえて離さないのである。

【参考文献】
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜将軍家の明治維新増補版』(中公新書)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(講談社)
藤谷俊雄『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』(岩波新書)

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