「地道な業務」を続けて10年目で突然注目された訳 女子アナの私が「鬼教官」と呼ばれるまでの経緯
「〜笑ってコラえて」で新人研修の様子が放送された前年、私はアナウンス部専門副部長になりました。
管理職が会社員のゴールではありませんが、我慢の時代がここにつながったという実感はあります。手放しに「ああ、楽しい」とは言えない、自分の本命ではない仕事でも、そこに何か見出すものがあったからこそ、今も私は会社員として生き残ってきたと思うのです。
アナウンサーに求められる「価値」
組織にはゼネラリストとスペシャリストの道があります。スペシャリスト=専門職は、どの会社でも、本当の一人前になるまでの育成の労力や時間、経験といった「会社からの一種の投資」を受ける状況にあるかと思います。
アナウンサーも専門職です。経営の目で見れば、アナウンサーは一人前になってからでも、直接お金を稼ぐ職種ではなく、むしろ放送内容を充実させるためにお金を使わせてもらう側に入ります。華やかな場で仕事ができる喜びを理解しながら、お金に代わる付加価値を生み出すことがつねに求められます。一方で、テレビの現場は驚くほど新陳代謝が早い……。
30代になると先輩たちがそうであったように、仕事の軸足は番組出演より社内業務にシフトしました。そういう私の背中を後輩たちは見ています。
しかし、組織というのは変わらないように思えて、少しずついろいろな変わり方をするということを、勤続30年が過ぎた今、実感しています。専門職の私が生き残っているというのが、そういうことなのだと思うのです。
もし、企業に勤めていて、専門職からゼネラリスト=総合職への転換期、またはその両立に悩んでいらっしゃる女性がいたら、今の状況が本意ではないからといって安易に諦めないでください。組織は人も風土も変化していきます。私もまさか自分が入社したときの女性先輩アナウンサーの最高齢を超えて、現役でいられるとは、想像もしていませんでしたが、これからの時代こそ女性が会社の中で生きていける道は必ずあるのだと思います。
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