「地道な業務」を続けて10年目で突然注目された訳 女子アナの私が「鬼教官」と呼ばれるまでの経緯

拡大
縮小

「〜笑ってコラえて」で新人研修の様子が放送された前年、私はアナウンス部専門副部長になりました。

管理職が会社員のゴールではありませんが、我慢の時代がここにつながったという実感はあります。手放しに「ああ、楽しい」とは言えない、自分の本命ではない仕事でも、そこに何か見出すものがあったからこそ、今も私は会社員として生き残ってきたと思うのです。

アナウンサーに求められる「価値」

組織にはゼネラリストとスペシャリストの道があります。スペシャリスト=専門職は、どの会社でも、本当の一人前になるまでの育成の労力や時間、経験といった「会社からの一種の投資」を受ける状況にあるかと思います。

『辞めない選択』(書影をクリックすると、TAC出版の購入サイトへジャンプします)

アナウンサーも専門職です。経営の目で見れば、アナウンサーは一人前になってからでも、直接お金を稼ぐ職種ではなく、むしろ放送内容を充実させるためにお金を使わせてもらう側に入ります。華やかな場で仕事ができる喜びを理解しながら、お金に代わる付加価値を生み出すことがつねに求められます。一方で、テレビの現場は驚くほど新陳代謝が早い……。

30代になると先輩たちがそうであったように、仕事の軸足は番組出演より社内業務にシフトしました。そういう私の背中を後輩たちは見ています。

しかし、組織というのは変わらないように思えて、少しずついろいろな変わり方をするということを、勤続30年が過ぎた今、実感しています。専門職の私が生き残っているというのが、そういうことなのだと思うのです。

もし、企業に勤めていて、専門職からゼネラリスト=総合職への転換期、またはその両立に悩んでいらっしゃる女性がいたら、今の状況が本意ではないからといって安易に諦めないでください。組織は人も風土も変化していきます。私もまさか自分が入社したときの女性先輩アナウンサーの最高齢を超えて、現役でいられるとは、想像もしていませんでしたが、これからの時代こそ女性が会社の中で生きていける道は必ずあるのだと思います。

豊田 順子 日本テレビ編成局アナウンス部専門部次長、日本テレビアナウンサー

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

とよだじゅんこ / Junko Toyoda

1966年、長野県中野市生まれ。埼玉県岩槻市育ち。埼玉県立浦和第一女子高等学校卒。立教大学文学部(英米文学科専攻)卒。1990年、日本テレビ放送網株式会社に入社。アナウンス部に配属され、『スポーツジョッキー中畑クンと徳光クン』でアナウンサーとしてデビュー。以後、『スポーツうるぐす』『NNN きょうの出来事』など、主にスポーツ、報道分野の番組に出演。現在は『NNN ストレイトニュース』などに出演しながら、新人アナウンサーの研修・人材育成も担当

この著者の記事一覧はこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
猛追のペイペイ、楽天経済圏に迫る「首位陥落」の現実味
猛追のペイペイ、楽天経済圏に迫る「首位陥落」の現実味
ホンダディーラー「2000店維持」が簡単でない事情
ホンダディーラー「2000店維持」が簡単でない事情
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT