「地道な業務」を続けて10年目で突然注目された訳 女子アナの私が「鬼教官」と呼ばれるまでの経緯

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私の鬼教官ぶりをフィーチャーしながら、単に新人に厳しく当たるだけではなく、成果を出させて最後までしっかりと面倒を見る。新人たちもひたむきにデビューへ向けて挑戦を続ける。私が力説した育成の意図をしっかり伝えてくれるオンエアを観ながら、すべての巡り合わせがカチッとはまって、この放送にたどり着いた幸運を強く感じました。本当にありがたかったです。

「〜笑ってコラえて」だけではなく、その後「人生が変わる1分間の深イイ話」でも新人研修ドキュメンタリーは放送されています。デビューする時点で「即戦力」としてカメラの前に立てるよう、私が作成してきた総合的なカリキュラムをもとに、現役の先輩アナウンサーたちが与えられた課題をレクチャーする姿が毎年オンエアされています。

「鬼教官」と呼ばれることを受けとめる度量

研修全体の流れは、ほぼ定着し、私が担当しなくても「日本テレビ・アナウンス部の新人研修は一定レベルの内容を教えられる」という流れができました。そんな中、いつも私が新人とセットで出演しているのは、あくまで新人を盛り上げるためです。

ほめてばかりのところではなく、研修中の流れで私がポロッと口にしたきついひと言が、繰り返し放送に使われます。実際には1回しか言っていなかった言葉や私自身が実践してみせた部分を強調したりして、「おお、そう使ってくるか!」と思いながら、オンエアを観ています。

私のひと言が視聴者に届くか、腑に落ちるかという判断は番組ディレクターによるものであり、私は研修官として、部長には「アナウンス部として認められるかどうかの確認はやってくださいね」とお願いしつつ、個人的にはこれくらいだったら問題ないだろうと思っています。

「鬼教官なんてイヤ」などと文句を言い始めたら、部署間の信頼関係にも関わりますし、ディレクターもこの企画を面白がれなくなるわけですから、そこを受け止める度量は持っていたいと思っています。モラルに関わる部分はきっちり意見を言いますが、テレビの遊びの部分も理解しています。

そもそも私自身がテレビを観て育ってきて、テレビが大好きなので、「遊び」の部分は許せるどころか大歓迎です。この番組にかかわらず、自分がどんな感じに描かれるのかということに関しては、私は制作サイドにお任せしています。だから鬼教官役も煮るなり焼くなりして、「どうぞよしなに」と現場を後にします。アナウンサーは俳優ではないので、それを「私のイメージが……」などと言い始めたら、もうキリがなくなってしまいますから。

番組内の役割だった鬼教官というキャラクターは、今やアナウンサー・豊田順子のキャラクターになりましたが、それを含めて番組のスタッフには感謝しています。

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