ひろゆき感動「難病61歳の人生サイボーグ化計画」 ALSになったら僕も「ネオヒューマン」をマネる
結局、人よりも抜きん出たり、世の中を変えてしまうような人って、こういう人なんじゃないでしょうか。「戻れるように動く人」って、速度出ないんですよね。
「後戻りはできない」と覚悟してリスクをとれる人だけが、「非常識」を「常識」に変えて、世界を前に進められるんだと思います。でも実際は、そうであることをぼんやりとわかっていても、やらない人が多いんですよね。
「ピーター2.0」がつくる「よりよい世界」
イギリスの場合は、手術を引き受けるという医者が現れれば、NHS(国民保健サービス)で実現できるというゆるさも、いい部分かもしれませんね。
日本の場合、いま、健康な人の体にメスを入れて臓器を取り出すことは、保険診療ではできませんし、法律に引っかかる可能性もあります。倫理委員会でもバツですよね。しかし、それも、症例数の問題で変わっていくのではないかなと思います。
本書には、ALSで同じような症状を持ち、ピーターさんのように手術をしたいという人が登場しますね。そのような人が1000人ほど出てくれば、安定した手術法のひとつとして確立され、世界中で広まり、日本でもそのうち取り入れられていくのではないでしょうか。
新型コロナのワクチンも、最初はみんな怖がっていましたが、もう世界中で何億人と打っているので、大丈夫だねという感じになっていますよね。
ピーターさんのような例がたくさん出てくれば、今後「腸と喉は取る、心臓は残す」というような手術のパッケージが決まってくるでしょう。それで技術と安全性が高まり、コスト面でもいいよねというものができれば、世界中に広がります。そうなれば、日本でも同じような手術をやるということになっていくんじゃないかなと思います。
Zoomとかのリモートだって、僕は5年前からやっていますが、その頃はいくら便利だって言っても、みんなやっぱりリアルに会いに来てたんですよね。でも、今じゃ普通になりましたよね。
人間って、簡単に変わります。車に乗りこむと、車のサイズを意識しながらうまくバックすることができますよね。脳が、車のサイズを自分の体のサイズとして認識し、コントロールできるからです。
だから、新しいデバイスが登場して、うまく操作できるようになれば、それもまた、自分の体の一部のように扱えるようになると思います。それによって、行動パターンも変わるということがあるわけです。
もうすでに、レーシックで眼球を削るというような、体に傷つける手術を平気でやるようにはなってきています。そのうちに、外部記憶デバイスをつけて記憶力を良くするとか、カメラでとらえた視覚情報を、脳に直結させて視力を補うということも実現するでしょう。
そういったことは、現在当たり前に受け止められているものと、なだらかな延長線上にあることですし、時間とともに進展して、人類はそちら側へ移行していくでしょうね。
そうなるために最初に必要なのが、ピーターさんのような「最初にリスクを取って飛躍しちゃう人」です。腸や喉を切り落としても、「当たり前」から外れても、幸せになれるよっていう。そういう人類こそが生き残っていくんですね。
『ネオ・ヒューマン』が広まって、多くの人に読まれてくれれば、それだけ多くの人が同様の手術を希望するようになり、技術が進む。結果的に多くの人が救われることになるわけで、より良い社会につながると思います。
冒頭にも言いましたが、僕もいつALSになるかわからないわけです。もしそうなったら、僕もピーターを真似たい。身体を張った彼の行為によって、多くの人が恩恵をあずかることができると思っています。この本は1人でも多くの人に読んで欲しいですね。
(構成:泉美木蘭)
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