44年前「3万キロ国際ラリー」で感じた意外な恐怖 特に厳しかった中東~インド走破の思い出

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アフガニスタン最後の行程は、パキスタンとをつなぐカイバル峠越え。古くからの交通の要衝であり難所だが、通ったのは夜間。闇の中、ここにも数キロおきに銃を携えた監視兵が立っていた。「夜は山賊が出る」といった話も聞いていたが、そんな話がとてもリアルに感じられる不気味さだった。

群衆に悩まされたインド

パキスタンはラホールまで。そこからインドに入った。インドは、デリー、ボンペイ、マドラス(現在のチェンナイ)と、ほぼ縦断する形で走ったが、長い行程だった。

現在のインドの人口は13億人とも言われるが、デリーを中心にした大都市の人口密度はすごいのひと言だ。「クルマとバイクと人が道路を共有している?」のにも驚いた。

デリーでは1泊。中心地の街中のホテルだったが、人の多さは、ホテルの窓から見ているだけで息苦しくなるほど。結局、ホテルからは出ず、身体を休めることに専念した。

翌朝は、全車が車両デポから隊列を組んでスタート。前後に警察のパトロールカーが付いたが、取り囲む大群衆の中、はうようなスピードでしか進めなかった。

ボンネットを、トランクを、窓ガラスを……多くの手で触られ、たたかれながら……。中には、ボンネットに乗るもの、クルマの上を八艘飛びのように飛び渡るツワモノもいた。

警備の警官はいるものの多勢に無勢。黙って見守るしかない。ほんとうに怖かった。その後の給油ストップで気づいたのだが、何枚かのスポンサー・ステッカーが剥ぎ取られていたのには驚いた。ゼッケンが被害にあったクルマもあった。

都市部だけではなく、田舎の村落でもまた群衆に悩まされ、恐怖を抱かされた。村落の入り口付近では静かで、人気はほとんど感じられない。だが、中に入ると……「いったいどこから!?」と驚かされるほどの人がラリー車目指して駆け寄ってくる。

文字どおり「湧き出てくる!」ように人が集まり、あっという間に十重二十重状態になってしまうのだ。そして、クルマを、窓をたたく。多くの人たちにとって、「国際ラリー」はめったにはない「お祭り」のようなものだったのかもしれない。

誰が、どこのチームが言い出したかは忘れたが、そんな難局を乗り切るために考えだされた妙案があった。「前後の5台が一組になって、左右のドアを半開き状態で支えながら走り抜ける」という案だ。

車幅が倍近くになったクルマが5台連なって走れば威圧感は大きく増す。加えて、仮に人が接触しても、ドアの調整で大事に至らずに済むだろうということだが……この作戦は大成功だった。

44年前の中東~インドの走破はほんとうに厳しかった。ラリーでなければまた違った印象だったかもしれないが……2度とはできない体験をした。その後、政情不安で走れない国も出た。アフガニスタンはその典型だ。そう考えると、「すごい体験をしたものだ!」とつくづく思う。

(文:岡崎宏司/自動車ジャーナリスト)

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