44年前「3万キロ国際ラリー」で感じた意外な恐怖 特に厳しかった中東~インド走破の思い出
44年前の中東~インド、恐怖の思い出
1977年……44年前のこと。「ロンドン~シドニー 3万キロラリー」に出場したときのあれこれは、今も鮮明に覚えている。チームは、スバルの小関典幸さん、高岡祥郎さんと僕の3人。クルマはスバル・レオーネ1600 4WDだった。
このラリーへの参戦記は前にも書いた。サポートのないプライベートチームには「異常なほどの“耐久力” 、“持久力”が試される」そんなことが前回の話の中心だったが、今回は「恐怖の思い出」について書く。
ラリーの大雑把な内容だが、ロンドンからシンガポールまでが17000km。パースからシドニーまでをW字状に走るオーストラリア・セクションが13000kmの計30000km。
前半は1200~1300km/日、後半は2200km/日を走るスケジュール。とくに、容易に道に迷ってしまうような砂漠が中心の後半はきつかった。
カンガルーとの衝突でフロントウィンドーを失い、2本のタイヤがほぼ同時にバースト、ゴールへの道のりは険しかった。でも、なんとか耐えきり、走り切った。
「順調に走っていれば……」との悔しさは当然あったが、総合19位、クラス4位……ロンドンをスタートしたのが80台だから、まぁ、頑張ったといっていいだろう。
本題に入る。「中東~インド、恐怖の思い出!」とはどんなことか。ひと言でいえば「人とクルマが怖かった!」ということ。「中東~インド」というだけではあまりピンとこないだろうから、具体的な国名と都市名をも挙げておこう。
恐怖はイスタンブール/トルコから始まり、テヘラン/イラン、カブール/アフガニスタン、ラホール/パキスタン、デリー、ムンバイ、チェンナイ/インドまで続いた。
ロンドンからスタート。フェリーでアムステルダムへ渡った。そこから欧州セクションは始まったが、アテネ/ギリシャまでは淡々と進んだ。
ただし、タフなスケジュールに身体が慣れていないので、「睡魔」との戦いは厳しかった。事故も起き、死傷者も出た。われわれもヒヤッとしたことはあったが乗り切れた。
そして、トルコに入ったのだが、クルマも少なく、ストレスを感じることはあまりなかったのだが、イスタンブールに近づくにつれて状況は一変した。